体重が増えることは命の長さが延びること/病室の入り口に「トイレなう」/コーラと涙:白血病・悪性リンパ腫闘病記(64)

前回の闘病記からの続きです。
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◼︎2013年8月6日(火)。入院86日目。抗がん剤治療開始から78日目。
この頃は、帯状疱疹のために抗がん剤治療を休んでいたため、副作用に悩まされることもなく、継続的に食欲もあったため、体重も増えてきていました。
この日の体重は49.45キロになっていました。一時は44キロ台にまで落ちていたため、50キロ目前にまで体重が増えたのがうれしかったです。
その話を担当医のMY先生にしたら、

この機会に体重を増やして体力をつけましょう。帯状疱疹になって個室に来るまでは、ずっと体重も減っていたので、あのまま抗がん剤治療を続けるのはいずれにせよきつかったかもしれませんね。もちろん帯状疱疹はないほうがいいですが・・・。

背中の痛みは、帯状疱疹そのものの痛みというよりも、皮膚がめくれている痛みかもしれません。もう一度皮膚科に診てもらいましょう。

とのことでした。やはりこの機会は改めてラッキーだったのだと思いました。
またこの頃は、体重も増え始め、しかも個室だったこともあり、体力をつけようと、ベッドの上や脇で運動をしていました。腹筋や腕立て、スクワットなど。看護師さんによく言われる廊下を歩くリハビリだけでは足りないと思ったからです。それだけ元気になってきていました。
この日の夜、娘とFaceTime(テレビ電話)で話しました。娘は、前日に話したキドキドや動物園だけではなく、パパと行きたいところが他にもたくさんあるとのこと。ミッキーランド(当時の娘の表現によるディズニーランドのこと 笑)やお砂場など。

絶対に病気を治して、家族三人で行くぞ

と改めて心に誓いました。
この日も寝る前には痛み止めの点滴を打ってもらい、映画を見てから寝ました。映画はデンゼル・ワシントンの「フライト」でした。さすがに彼の映画はハズレがない、と再認識しました。
◼︎2013年8月7日(火)。入院87日目。抗がん剤治療開始から79日目。
この日、ついに体重が50キロ台を回復しました。50.90キロでした。これはうれしかったです。一時は抗がん剤の副作用で毎日体重が1キロずつ減っていき、このまま死んでしまうのかと思ったこともありました。だから、当時の自分にとっては、体重が増えることは、命の長さが延びることに直結していました。本当にうれしかったです。
朝、またMY先生といろいろお話ししました。

治療でいろいろなことが起きた時に、プラスに対処できる人と、逆にマイナスに落ちていってしまう人がいます。落ちていってしまうと、治療も完遂できません。

高山さんが帯状疱疹になってしまったのは残念でしたけれど、この機会に体力をつけて、今後の治療に備えましょう。

抗がん剤の副作用には、徐々に薬に身体が慣れていって楽になるものもありますが、逆に蓄積していく毒性により、あまり変わらないもしくは強くなるものもあります。

とにかく、まずは帯状疱疹を治しましょう。そうしないで次の抗がん剤のコースに進むと、帯状疱疹が悪化して、命に関わることになり、足元をすくわれることにもなりかねません。

この話を聞いて、やはりMY先生も自分と同じように、この帯状疱疹をプラスの方向で考えてくれているんだ、とうれしくなりました。
さらにMY先生は、

娘さんとは会えてますか?

と気にかけてくださいました。僕は「ええ、お見舞いにも来てくれますし、毎晩テレビ電話でも話していますよ」とお答えしました(冒頭写真)。こうした患者への気遣いも、MY先生はすばらしいなあと思いました。
この日は家内が仕事の昼休みにお見舞いに来てくれました。僕はランチにハンバーガーが食べたくて、お願いしていました。家内はいつものマクドナルドではなく、モスバーガーを買ってきてくれました。でも、いつものコーラがありませんでした。
僕はハンバーガーを食べながらコーラを飲むのを楽しみにしていたので、「あれ?コーラがないじゃん!」とちょっと強い口調で言ってしまいました。
家内はそれを聞いて泣き出してしまいました。そしてすぐに地下の売店でコーラを買ってきてくれました。
コーラごときで声を荒げるなんて、どうしてだったのか、と今でも思い返して反省しています。でも、あの頃はそれだけ、食べられるときに食べたいものを食べることに、それだけの楽しみを感じていたように思います。自己弁護ですが。
家内は家内で、単に僕に怒られたということ以上に、いろいろと考えて哀しくて泣いてしまったようです。入院中の苦い思い出の一つです。
その後、家内には、体重が増えたことを伝えました。自分のことのように喜んでくれ、僕もうれしかったです。
夜は、長野からお見舞いに来てくれた母が差し入れてくれたうなぎ丼をいただきました。

この日見た映画は、「エンド・オブ・ザ・ワールド」と「ウェイバック」でした。
◼︎2013年8月8日(水)。入院88日目。抗がん剤治療開始から80日目。
午前中、看護師のSさんが、上半身を拭き、帯状疱疹患部のガーゼを替えるとき、「ついでに」と肩をマッサージしてくれました。たまに旦那さんにもやってあげるとのこと。「今日はサービスですよ(笑)」と言いながら、結構しっかり揉んでくれました。心遣いがうれしく、そしてすごく気持ちよかったです。
夜は、昼間お見舞いに来てくれた家内が差し入れに買ってきてくれたスエヒロのスタミナガーリック弁当をいただきました。さすがスエヒロ、おいしかったです。

この日見た映画は「ルーパー」と「エクスペンダブルズ2」でした。特に「エクスペンダブルズ2」は、入院中に何も考えずに見るにはいい、ドンチャンお祭りアクション同窓会映画でした(1も入院中に見ていました)。
◼︎2013年8月9日(木)。入院89日目。抗がん剤治療開始から81日目。
この日も昼間から映画を見ていました。「レ・ミゼラブル」です。クライマックスで感動して、思わず涙が出たと思ったら、昨日も担当だった看護師のSさんが突然病室に入ってきて、涙をごまかすのに苦労しました(笑)。
入院して、いろいろ辛い思いをして、いろいろ考えたせいか、明らかにそれまでよりも涙もろくなっていました。
この日、お見舞いに来てくれた家内が、帰りにエレベーターで主治医のGY先生と担当医のMY先生と一緒になったと、夜のFaceTime(テレビ電話)で教えてくれました。MY先生は、

ご主人は体重も増えてきてよかったですね。次の抗がん剤治療再開のスケジュールを気にされているようですが、それはこちらで考えますので、気になさらないようにお伝えください。

と言ってくださったとのこと。家族にまで、僕の状況や気持ちを的確に汲み取って話してくださって、本当にいい先生だと思いました。
この日の映画は、「レ・ミゼラブル」に加え、「ダイ・ハード/ラスト・デイ」を見ました。ダイ・ハードは安定のおもしろさでした。
◼︎2013年8月10日(金)。入院90日目。抗がん剤治療開始から82日目。
この日、長野から母がお見舞いに来てくれました。最近スポーツクラブで習ったというリフレクソロジーのマッサージをしてくれました。長い入院生活で、足も筋肉が落ちてどんどん細くなっていましたが、マッサージは気持ちよかったです。
昼には母が買ってきてくれた山形牛弁当、夜には同じく母が買ってきてくれたホテルオークラのビーフカレーをいただきました。ビーフカレーが大変おいしかったです。
この日も映画を2つ見ました。「オーケストラ!」は、クライマックスで感動して鳥肌が立ち、涙が出ました。すばらしい映画でした。もう一つは「ドリームハウス」でした。
この頃、個室での生活にも慣れてきていたんですが、個室ならではの困り事が一つありました。個室のためにベッドの脇にトイレがあるんですが、そのトイレを使っているときに、突然ドアが開いて看護師さんが入ってくるんじゃないか、と若干気が気でないんです。
ということで、一計を案じ、こうしたメモを病室の入り口のドアに貼ることにしました。
入院中に個室のドアに貼った「トイレなう」のポストイットメモ
「トイレなう」です(笑)。オーシャンブリッジのノベルティのポストイットに書いて、ドアに貼りました。
ちなみに看護師さんたちには、「あれ、高山さんが自分で書いたんですか?(笑)」と大変好評でした(笑)。

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