帯状疱疹を発症/身体の声にもっと素直に:白血病・悪性リンパ腫闘病記(61)

前回の闘病記からの続きです。
◼︎2013年7月27日(土)。入院76日目。抗がん剤治療開始から68日目。
この日の朝、背中の右側の肩甲骨のあたりに痛みを感じました。自分としては、背中に汗をかいた上に肩甲骨がベッドに擦れて、あせものようになったのかと思っていました。看護師さんに伝えると、とりあえずガーゼで患部を保護してくれ、後で先生が来て診てくれるとのこと。


その後担当医のMY先生が来て患部を見てくれた結果、「帯状疱疹かもしれませんね。後で検査をしましょう」とのこと。
しばらくしてMY先生は検査キットを持って病室に現れました。そのキットを使い、発疹を潰して体液を採取していきました。結果は後日とのこと。
◼︎2013年7月28日(日)。入院77日目。抗がん剤治療開始から69日目。
朝、MY先生が来て、昨日の検査結果を教えてくれました。やはり、

帯状疱疹ですね

とのこと。でもこの時は、帯状疱疹がどんな病気かは全く知らず「そう言えば親戚のおばさんがだいぶ前にかかってたな」くらいの感想しか持ちませんでした。まさかその後、帯状疱疹後神経痛にまでなって、1年以上も苦しむことになるとは思いもしませんでした。
先生も、この時には「一週間くらいでで痛みは引くと思いますから」くらいのことしか言っていませんでした。
その後、背中の発疹の範囲が広がったので、看護師さんにガーゼを貼り直してもらいました。
この日、隣のベッドにいた若い患者のTさんが、骨髄移植のために隣の移植病棟に移っていきました。
トイレに行って出てきたら、病室を出る直前のTさんが、わざわざ僕を探して挨拶しに来てくれていました。「お互いがんばりましょう」と言って別れました。
この頃は、数日続いた下痢が治まりつつあり、減退していた食欲も少しずつ回復していました。MY先生にそう伝えると、

胃と腸はつながっていますからね。腸が滞ると、胃にも影響します。逆もそうです

とのこと。本当にそうだなあ、と実感しました。
◼︎2013年7月29日(月)。入院78日目。抗がん剤治療開始から70日目。
朝、MY先生が来て、こう言いました。

本来は明日から抗がん剤治療の次のコースを始める予定でしたが、帯状疱疹になってしまいましたので、あと数日、体調を見てから始めることにしましょう。前回のコースでも一週間遅らせましたし、一ヶ月とか遅らせなければ、治療効果には影響ないと思います。帯状疱疹は皮膚科の先生にも診てもらいましょう

その後、まず感染症内科の先生が病室まで帯状疱疹を診に来ました。「やはり帯状疱疹ですね」とのこと。
その後皮膚科に診てもらいに行きました。まだふらつきがあったため、車椅子を押してもらって、一階の皮膚科まで行きました。皮膚科の先生はこう言いました。

これは帯状疱疹で、治りかけですね。一週間は薬を飲んでください。あと痛みをどうするかは、担当医の先生と相談してください

病室に戻ってしばらくすると、またMY先生が来て、

帯状疱疹が他の患者さんに感染することを防ぐため、病室を個室に移っていただくことになりました。隔離ですね。期間は一週間ほどになると思います。抗がん剤治療も、その間は延期することになります

と言いました。
部屋を移るのは面倒なのですが、「まあ、体調回復の時間ができるということだし、次のコースが始まるまでに回復しなければと焦る必要がなくなったと考えよう」と思いました。
同時に、この頃は、病室に高齢の患者さんが増えていたことから、正直なところ、

おじいさんばかりの病室になって嫌だなあ。自分も年をとった気分になるなあ。咳払いとか多いしなあ

と思っていたところでした。前日に移植病棟へ移っていったお隣のTさんのベッドにも、すぐにご高齢の患者さんが入院してきていました。
そうしたタイミングでの移動だったため、

まさか自分が病室を移動することにになるとは、なんという巡り合わせ、なんというラッキーだろう!

と前向きに捉えるようになりました。
部屋の移動は、ちょうどお見舞いに来た家内が、看護師さんとともに手伝ってくれました。
この日は他にも検査があり、忙しい一日でした。朝から、病室での感染内科医の診察、一階の皮膚科に車椅子で行って受診、個室に引っ越し、その間に病室でのレントゲン、そして再度車椅子で一階に行き腰のMRI検査。
家内が来てくれなければ、とても病室の引越しなんてできませんでした。家内には改めて感謝しました。
帯状疱疹との診断を受け、個室への引越しをする中で、以下のように考えていました。

結局、自分としては、今、目の前のことに集中して、あとは流れに身を任せていくしかない。「次のコースが始まるまでにがんばって体力を回復しよう、そのためにがんばって食べよう、歩こう」などと焦っても、胃腸が動いてなければどうやっても食べられないし、下痢ならば食べても栄養は吸収されない。「いつまでにがんばろう」ではなく、「今」に集中し、大きな流れに身を任せて、自分にできることをやっていくしかない。その先に結果としていい未来があるはず。

だから、食べられなければ食べなくていい。無理する必要はない。食べられるだけ食べればいい。そうしないと胃腸にも負担がかかる。いまは休む時。

今回の帯状疱疹による治療延期と個室への移動は、それを確認するいい機会。本当に幸運だった。

個室に移ってから早速、入院当初にやはり個室で使っていたBluetoothスピーカーを出して、iPhoneで音楽を流して聞きました。この頃は、イヤフォンを使うのが面倒で、大部屋では音楽もほとんど聞いていませんでした。
個室に移ったのを機会に、久しぶりに音楽を聞き、曲に合わせて自分でも歌っていたら、「やはり知らないうちに入院生活、特に大部屋生活のストレスを感じていたんだな」と実感しました。ご飯やトイレのタイミング、看護師さんと話している内容、点滴ポンプの電子音、廊下を歩く音、咳払い、等々。
そして音楽を聞いて一緒に歌っているだけで、気持ちが楽になり、ストレスが消えていく感じがしました。
しばらく前に、仲の良い看護師のWさんから、「入院生活でストレスは感じていませんか?」と聞かれた時には、即答できませんでした。そしてちょっと考えた上で「とにかく移植をせずに、化学療法だけで病気を治して早く家に帰りたい、それだけです」と違う回答を言いました。でも、実際にはストレスを感じていたことを実感しました。
自分はそれまでの人生でも、いろいろなことを我慢しがちでした。そうした我慢から来るストレスが、いつの間にか身体に悪影響を与えていました。それも2度のがんの原因の1つだったのだと思います。そうした経験からも、

これからは、身体の感覚や、身体の声にもっと素直になろう。

と思いました。

★闘病記ブログランキングに参加しています。下の病名ボタンをクリックしてくださると、ランキングが上昇し、より多くのがん患者さんに僕の闘病記が届きます。よろしければクリックしてくださるとうれしく思います。4回のがんをがんを乗り越えた経験が、一人でも多くの患者さんに届きますように…

にほんブログ村 病気ブログ 白血病へ  にほんブログ村 病気ブログ 悪性リンパ腫へ  にほんブログ村 病気ブログ 脳腫瘍へ 

「帯状疱疹を発症/身体の声にもっと素直に:白血病・悪性リンパ腫闘病記(61)」への2件のフィードバック

  1. 54歳、マントル細胞リンパ腫で高山様と同様にhyperCVADを2014/6から受けています。コメント2度目です。私も先月半ばから帯状疱疹を発症し、ひと月化学療法が中断してました。リリカ(100mg)で痛みはなくなり投薬ストップとなりましたが、その後じわじわとあの痛みが戻ってきています。キシロカインゼリーで表面のひりひり感はおさまりますが、難儀な痛みですね。
    hyperCVADは年内で終了し、来年からは自家移植に挑みます 。退院後は漢方医の門戸を叩こうと思っています。高山様のブログはいつも大変参考にさせて頂いております。ありがとうございます。

  2. hideさん、2度目のコメントありがとうございます!
    そうですか、やはり帯状疱疹をやってしまいましたか。。。
    私も発症から早1年4ヶ月経ちますが、相変わらず治まらない痛みに悩まされています。。。
    リリカは今でも75mgを朝晩飲んでいますが、他の薬も含め、効いているような効いていないような。。。
    漢方は2ヶ月目に入り、まだ明らかな効果は見られないんですが、もう少し続けてみようと思っています。
    ブログが参考になっているとのこと、うれしいです。
    自家移植も乗り越えてくださいね!

コメントは受け付けていません。