株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2014年11月12日
前回の闘病記からの続きです。
(iPad miniの後ろは個室で愛用していたBluetooth対応ポータブルスピーカー「JBL FLIP」)
◼︎2013年8月1日(木)。入院81日目。抗がん剤治療開始から73日目。
この日も朝から熱が38.6度。解熱剤のカロナールを飲みました。
また帯状疱疹も皮膚がひどい状態になっており、上半身を拭いてもらい、ガーゼを貼り替えてもらいました。
一日中、カロナールを飲んだり氷枕を交換してもらったりしていたのですが、16時過ぎには熱が39.7度まで上がってしまいました。
朝の採血の結果、ヘモグロビンが少ないということで、19時頃から輸血をしました。その頃には熱も38.4度に下がりました。それでも平熱よりは高いですが、40度近い熱から比べると大分楽になりました。
夕飯の後には、家内が娘からということで持ってきてくれたクッキーをデザートにいただきました。娘と家内の心遣いが、高熱の身に沁みました。
夜、21時の消灯前に、担当医のMY先生が様子を見に来てくれました。
帯状疱疹は昨日よりも明らかによくなってきていますね。
でも、熱の原因が分からないので、点滴の抗生剤をかぶせましょう。採血の結果、輸血もしていますが、その貧血も発熱に影響しているかもしれません。
ということで、抗生剤のセフェピムの点滴を開始しました。
しかしその後も熱は下がらず、深夜1時半頃には38.8度に上がってしまい、カロナールを飲みました。
◼︎2013年8月2日(金)。入院82日目。抗がん剤治療開始から74日目。
朝起きると、ようやく熱が37.0度に下がっていました。その後、お昼過ぎにはまた少し上がって37.5度、そして15時頃には38.5度に上がってしまいました。看護師さんに氷枕を持て来てもらい、カロナールを飲みました。
午後、家内がお見舞いに来てくれました。リクエストしていた吉野家の牛丼を持ってきてくれました。熱や痛みはあっても食欲があるのは助かりました。
夜、就寝時間後には熱は37.4度に下がりました。
◼︎2013年8月3日(土)。入院83日目。抗がん剤治療開始から75日目。
この頃から帯状疱疹のため背中の痛みが強くなってきていて、その痛み止めのためにカロナールを飲むことが増えていました。
MY先生に相談した結果、痛み止めのリリカの定期服用量を増やすことになりました。痛むときには頓服としてのカロナールを併用します。
この日は週末ということで、保育園がお休みの娘も家内と一緒にお見舞いに来てくれました。
帯状疱疹発症後、個室に隔離されていたため、娘も病室に入ることができました。ただ、前日輸血した通り、血球数が少なく、また帯状疱疹もあったため、「娘さんを抱っこしたり、ベッドに上げたりはしないでくださいね」、と看護師さんからは言われました。
娘は保育園で撮ってもらった写真をたくさん見せてくれました。そして、以前、幼なじみのT君の家族とみんなでみなとみらいに行ったときの話をして、
またパパとキドキド(ボーネルンドが運営する子どもの遊び場)と動物園(野毛山動物園)に行きたいなー!
と言っていました。僕も
パパも行きたいよ。退院したら絶対行こうね
と答えました。そういえば、退院してもうすぐ一年ですが、まだ行っていません。やばい(笑)。
夜は帯状疱疹のガーゼを看護師さんに替えてもらい、睡眠導入剤のレンドルミンを飲んでから寝ました。
◼︎2013年8月4日(日)。入院84日目。抗がん剤治療開始から76日目。
朝から帯状疱疹の抗ウィルス剤、アシクロビルの点滴。
この日の熱は、なんと36.1度。久しぶりに見る低さでした。これで完全に熱が下がったかな、と思いました。
またこの数日と違い、眠剤のレンドルミンのお陰か、夜間一度も目が覚めずによく眠れました。
午前中に看護師さんに上半身を拭いてもらい、ガーゼを交換してもらいました。帯状疱疹の水ぶくれはもう治っているが、まだ浸出液が出ている部分があるとのこと。そこが乾燥していけば治るはず、とのことでした。
午前中に担当医のMY先生も来てくれました。
痛みに強い高山さんが、昨日は辛そうな顔をしていましたが、今日は昨日よりは表情が明るいですね。
とのこと。ただ、もしかしたらこれは、先生が来た時に、iPad miniでiTunesからダウンロードしたパロディ映画「裸の銃を持つ男」を見ていたせいもあるかもしれません(笑)。(冒頭写真)
またMY先生は、
痛みがひどければ薬で対応しますから遠慮無く言ってくださいね。帯状疱疹は、皮膚が乾いていけばよくなると思います。
とのこと。でもこの頃は、まさかその後に神経痛が残るとは思ってもみませんでした。
夕方には映画「ライフ・オブ・パイ」を見ました。
それでもまだ痛みは辛く、夜22時半頃には鎮痛剤のソセゴンと、皮膚炎を抑えるアタラックスPを点滴してもらいました。点滴の効果は抜群で、その後は痛みを感じなくなり、ようやく眠ることができました。
◼︎2013年8月5日(月)。入院85日目。抗がん剤治療開始から77日目。
朝の熱は36.6度。完全に熱は下がりました。
朝からまたiPad miniで映画を見て過ごしました。「恋愛小説家」です。夜には「パーカー」も見ました。
ただ、その夜にはまた熱が37.5度に上がり、痛みも強かったため、痛み止めと抗生剤を点滴してもらいました。さらに睡眠導入剤のレンドルミンを飲んでから寝ました。
この日の昼間、仲の良い看護師のWさんが来た時に言われました。
高山さんは個室に来てから表情が明るくなりましたね
それを聞いて、
個室に来て独りになり、スピーカーで音楽を聞いたり、iPad miniで映画を見たりすることで、大部屋にいた頃の精神的なストレスが解消され、それが表情に出ているのかもしれない
と思いました。そして、
この後、帯状疱疹が治ってから大部屋に戻っても、常にノイズキャンセリングイヤフォンをして独りの世界に入っていれば大丈夫ではないか?
などと考えたりしていました。
また熱や帯状疱疹の痛みはありますが、抗がん剤はお休みしているため、その副作用の胃腸の痛みや不調はありません。食欲はあり、しっかり食べられています。
帯状疱疹で個室に隔離されたこの機会に、しっかり食べて体力をつけて体重を増やし、そして映画を見てリラックスしよう。このタイミングで個室に来たのはやはりラッキーだった
と考えていました。
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【投稿者】nori 【コメント】コメント (0)
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。2016年10月に脳腫瘍、悪性リンパ腫の2つのがんから卒業。同年、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
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