株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2011年11月23日
手術直後の日々については、Evernoteにあまり記録がありません。手術の後遺症の視覚障害で、文字の読み書きが大変だったためです。
でも、日を追うごとに、記録されている情報が少しずつ増えていきます。PostEverでiPhoneから入力された日々の出来事や、twtr2srcで自動的にEvernoteに取り込まれたTwitterのツイートや、iPadやiPhoneでブラウジングした脳腫瘍・視覚障害等に関するWebサイトのクリッピングなどです。これらがライフログとして、今、当時を思い返すのに非常に役立っています。
一つ前のブログ記事で書いたように、一般病棟に戻った翌日(7月6日)には、Twitterで手術が無事終わったことをご報告しました。
そのツイートに対してたくさんのリプライをいただいたため、その翌日(7月7日)にも下記のツイートをしています。
みなさんありがとうございます。しばらくは術後の傷みとの戦いです。味方は痛み止めと娘の笑顔。
家族は毎日のようにお見舞いに来てくれました。僕が7月5日に一般病棟に戻ってからすぐに来てくれたうちの奥さんは、手術直前に預けた結婚指輪を、僕の左手の薬指にはめてくれました。「結婚式以来だね」と言いながら。ちょっとうれしかったです。
手術が終わって4日後の7月8日には、早くもシャワーを浴びています。それまでは、ベッドの上で看護師さんに身体を拭いてもらうだけだったのですが、ようやく浴室でシャワーを浴び、頭を洗ってもらうことができるようになりました。これが本当に気持ちよかったです。
この頃は、手術の前日にシャワーを浴びて以来、もう何日も頭を洗っていなかったため、頭がベタベタして非常に気持ち悪かったのです。寝ている間は痛みに耐えているためか、頭も結構汗をかきます。さらに後頭部はガーゼで覆われて通気性が悪くなっています。だから汗の染みこんだ枕からはひどい匂いがして、寝ている自分が気持ち悪くなり、枕を交換してもらったほど(笑)。
だから頭を洗ってもらえるのは非常にうれしかったのですが、手術から4日しか経っていないため、本当に頭を洗っても大丈夫なのか、傷口がパカッと開いたりしないかと、半信半疑、こわごわといった感じでした。でも看護師さん(僕についてくれていた実習中の看護学生のIさんと指導教官のMさん)が、「大丈夫ですよー」と言いつつやさしく丁寧に洗ってくれました。これが本当に本当に気持ちよかったです。なお、頭は洗ってもらったのですが、身体は基本的に自分で洗いました(笑)。
これはつまり、この頃(術後4日目)には、もう病室を出て、点滴棒を押しながら浴室まで歩いて行き、服を脱いで浴室に入って、身体を洗う、ということまで自分でできるようになっていたということです。ただ、頭は自分で洗うのが怖いので、看護師さんに洗ってもらったということです。こんなに早くいろいろなことが自分でできるようになるとは、自分でも驚きました。
なお先生が言っていましたが、手術のあとの傷口は、洗って清潔にしたほうが治りが早いとのことです。だから患者さんはできるだけ早く入浴させるようにしているようです。
7月10日(術後6日目)にうちの奥さんが撮影してくれた写真が、Evernoteに保存されています。術後初めて撮影された写真で、お見舞いに来てくれた娘を、僕が病室のベッドの上で膝に載せています。この写真を見ると、もう点滴も外れていて、身体には何もつながれていません。食事が普通に食べられるようになったため、点滴から栄養を入れる必要がなくなり、外してもらえました。一週間も経たずに、身体は自由な状態になりました。
そしてこの日のランチは、術後初めて、病院内のレストランに行って家族と一緒に食べました。久しぶりの病院食以外の食事で選んだのは、もちろんカレーです。写真がピンぼけなのは、目がよく見えなかったためです。
そしてその翌日、手術からちょうど一週間となる7月11日には、抜糸がありました。傷口は糸で縫ったわけではなく、ホチキスの針のようなもので留めてあったため、正確には抜糸ではなく抜鈎(ばっこう)というようです。朝の回診の後、若い先生が一人で病室に来て針を外してくれました。
専用の器具でプチッ、プチッと一つ一つ外していくんですが、チクチクしてちょっと痛かったです。でも我慢できないような痛さではなかったです。同じ病室には抜糸を怖がっていろいろ理由をつけて先延ばしにしている患者さんもいましたが(笑)。でも改めてこれだけの針が後頭部についていたと思うと、ちょっと怖いですね。でもこれでまた一つ、身体が普通の状態に近づきました。
この日のランチも、お見舞いに来てくれた奥さん、娘と一緒に、病院内のレストランに行きました。今度は、カレーとオムライスが有名な松本楼です。もちろんカレーを食べました。
改めてこの写真を見ると、構図というか、お皿の配置のバランスがおかしいのですが(中央に変にスペースが空いている、ライスが中途半端に欠けている等)、これはまさに手術の後遺症の視覚障害のためです。
特に、視野の左のほうにあるもの、あるいは見ている対象物の左のほうが見えないという、半側空間無視的な症状の影響が大きいと思われます。このために、撮影時にiPhoneの液晶に映るカメラの映像の左の方がよく見えず、写真全体のバランスがうまく把握できていなかったため、こんな写真になってしまいました。
日々、身体のほうは順調に回復していくのですが、この視覚障害については、回復があまり実感できません。先生に聞くと、「視覚障害も回復していくはずですが、数カ月単位で時間がかかりますよ」と言われます。でも自分としては、「何ヶ月もこんな不自由な状態だと困るなあ」と思っていました。
だから少しでも早く回復したいのですが、先生や看護師さんに聞いても、特に視覚障害に関するリハビリのプログラムは用意されていないとのこと。脳腫瘍等の手術で手や足が不自由になったり、言葉をしゃべるのが不自由になったりした場合は、確立されたリハビリプログラムがあるようなのですが、視覚障害については無いのです。
「それならば」と、この頃からiPhoneやiPadで、脳の手術後をした後に残る視覚障害のリハビリについて、自分で調べ始めました。これが、後のPCを使った独自リハビリにつながっていきます。
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【投稿者】nori 【コメント】コメント (4)
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):
1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。
2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。
2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。
2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。
現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
※病気や治療に関するご相談はメールでもSNSでも一切お受けしておりません。仮に質問などをお送りいただいてもご返事できかねます。私もあくまで一患者であり医療関係者ではありませんのでその点ご理解ください。
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