2013年12月19日

退院しました(その1)そしてオーシャンブリッジの社長を退任し、会長になりました。

お陰さまで本日、退院しました。そして12月10日付けで、創業以来12年間務めたオーシャンブリッジの社長を退任し、会長になりました。

■僕の近況

今回の入院治療は七ヶ月に及びました。その間、みなさまにはご心配をお掛けしました。あまりにも大変な七ヶ月で、まだ退院の実感がありません。

病名は簡単に言うと「白血病 / 悪性リンパ腫」です。血液のがんですね。二年前の悪性脳腫瘍(グリオーマ)に続き、二回目のがんでした。この病気だと診断された時、5年生存率は40%だと言われました。

本当に心身ともに辛い七ヶ月でした。脳腫瘍の時の二ヶ月の入院とは、比べものにならないくらい、辛く、苦しい経験でした。肉体的な抗がん剤治療の副作用の辛さはもちろん、精神的には、低い生存率からくる生への不安、あまりにも長い治療期間への絶望感、いつ終わるとも知れない副作用への恐怖感などから、今までの人生では感じたことのなかった不安や絶望感を何度も感じ、自分の弱さをこれでもかと自覚させられることになりました。

副作用でものが全く食べられなくなり、毎日体重が1キロずつ減少し、24時間お腹を抱えて痛みに耐えていた時期もありました。この時は、「このまま自分は毎日体重が減り続け、最後には死んでしまうのではないか」、と真剣に思いました。

毎日があまりに辛く、窓の外に見えるビルの屋上から飛び降りたらこの日々を終わらせられるんだろうかと一瞬思ったこともありました。

また同時に、自分は周囲の人たちの助けがなければ生きていることすらできない弱い人間であり、これまで自分は強い人間だと思っていたのは根本的に間違っていたことを、心の底から自覚しました。

でも、どんなに苦しく辛い時でも、2年前、脳腫瘍が見つかった時に定めた僕の人生の目標「娘の二十歳の誕生日を、娘と奥さんと一緒においしいお酒で乾杯してお祝いする」は、常に頭にありました。この目標があったから、辛い治療も乗り越えられました。この目標と、毎日のように仕事の合間を縫ってお見舞いに来てくれた家内(時には仕事の昼休みに抜け出して5分だけ顔を出してくれました)、そして家内に連れられて週末にお見舞いに来てくれた3歳の娘の笑顔には、本当に支えられました。娘が来てくれた時にはiPhoneで写真を撮り、一人の時に何度も見返しました。

オーシャンブリッジのメンバーも、よく顔を出してくれ、僕の不在中の会社の様子を教えてくれたり、業績の報告をしてくれたりしました。病床の僕に心配をかけまいとがんばってくれている様子が、みんなの話や、業績の数字の間から垣間見られて、時には涙が出ました。

また多くの友人が、病院食が食べられなくなった僕のために、いろいろとおいしいものを持ってお見舞いに来てくれました。これには本当に助けられました。改めて、みなさん、ありがとうございました。みなさんの差し入れが、抗がん剤で弱った僕の血肉となり、退院できるまでに回復した今の僕の身体があると言っても間違いありません。

そうした周囲の支えがあって、この度、何とか治療を完遂し、退院することができました。
七ヶ月の入院生活で、体重は59キロから46キロに減りました(身長176cm)。体力、特に足腰の筋力の衰えが激しく、階段の上り下りも大変な状態です。

また治療の副作用もまだまだいろいろと身体に残っています。手の指先のしびれ(指先の感覚がなく、キーボードが打ちにくい)や足裏のしびれ、またしゃべる時の多少のどもり、言葉の詰まり(お陰で、みなさんからよく指摘される早口が少し改善したと思います。笑)などは、まだまだ回復には数ヶ月単位で時間がかかりそうです。

もちろん、髪の毛は全て抜け、スキンヘッドです。でもお会いする方々からは「頭の形がいいですね!」「坊主頭も、髭とバランスがとれて似合いますね」等、評判が悪くないので、髪の毛が生えてきても坊主頭を続けようかなと思っています。人生の中で坊主頭にチャレンジするなら今しかないですからね。

そして治療中に発症してしまった帯状疱疹の激しい痛みも、まだまだ残っています。痛み止めの薬をいくつか使って(医療用麻薬含む)なんとかコントロールしようとしています。

また、抗がん剤治療は終わったのですが、放射線治療が残っています。こちらは年が明けて1月に3〜4週間ほど、外来で通院して、治療を受ける予定です。

抗がん剤治療は、途中いろいろあったものの(また別途詳しく書きます)、なんとか一通り完遂しました。そして治療の効果を見るためのPET-CT検査でも、患部(お尻の仙骨の左側)はもちろん、全身のどこにもがんは見つからず、「寛解」との診断結果となりました。画像診断では、がん細胞は見つかりませんでしたよ、という意味です。ひとまず、抗がん剤治療は奏功し、成功しました。

そして、この状況から判断して、長期生存率は60〜75%程度に上がったと自分では考えています(別途詳しく書きます)。

でもこの病気は、一度寛解に至っても、その後の再発が非常に多く、まだまだ数年は予断を許しません。寛解となっても、画像に写らない小さながん細胞が残っているためです。だからこれからも、再発を防ぐための治療(メンテナンス療法)を受けるのはもちろん、自分でも免疫力、自己治癒力を高めるための様々な取り組み(瞑想など)を続けていくつもりです。これについても別途書きたいと思っています。

このような状況のため、引き続きビジネスからは距離を置き、しばらくは自宅療養とさせていただきます。いずれ自宅勤務からスタートし、少しずつビジネスの現場にも顔を出せればと思っています。

■社長退任、会長就任について

2年前の悪性脳腫瘍(グリオーマ)での入院(2011年6月より2ヶ月)に続いて、今回はさらに長い入院期間(2013年5月より7ヶ月)となり、さすがにオーシャンブリッジのような中小零細企業にとっても、社長不在による様々な不具合が日常業務でも見られるようになってきました。ちょっとしたことでも幹部会議で決定ができず、病院に出向いてベッドの上の僕に判断や意思決定を仰ぐいうことが何度かあり、経営の意思決定の遅れを招いていました。

しかし当時は、僕の入院期間があとどれくらいかかるのかは分かりません。そして退院後もすぐに現場に復帰できるわけではありません。以前のようにバリバリ仕事ができるようになるまでに、どのくらいの時間がかかるのか、誰にも分かりません。

そんな中、創業メンバーの一人であり、長年オーシャンブリッジをナンバーツーとして支えてくれた、そして僕の入院中は社長代理を勤めてくれた持木君が、珍しく一人でお見舞いに来てくれた時、以下のように申し出てくれました。

「高山さん、僕が社長をやります。高山さんはしばらくは会長としてゆっくりしてください。もちろん、いずれ体力も回復し、本格的にビジネスに戻りたくなったら、いつでも社長の椅子を空けて待ってますから。」

ちょっとビックリしたと同時に、肩の荷がスッと下りた気がしました。

僕は会社を設立してから12年間、会社の唯一の代表取締役社長として、銀行の融資の連帯保証をはじめ、全ての責任を一人でなんとか背負ってきました。そして転ばないように、潰れないように、それは会社だけでなく自分や社員の家庭も壊さないように、崖っぷちでも踏ん張って、なんとか守るべきものを守ってきました。その、会社を守る、いざという時は一人で責任を取る、ということからくる精神的なストレスというか重圧感が、二回の大病の一つの原因だと、今では考えています。だから、退院してからも、今までのように社長として働くのはもう難しいだろうと、自分でもなんとなく考えていました。

その社長の役割と責任を、病床の僕から取り上げて、持木君が背負ってくれると、「僕がやります」と、自ら手を上げてくれました。

うれしかったです。と同時に、ちょっとばかり寂しい思いもありましたが・・・。

この決断にあたっては、持木君ももちろん相当考えたでしょうけれど、周囲の幹部もいろいろ考え、みんなで議論した結果、「この体制案を高山さんにぶつけてみよう」という話になったというように聞いています。僕が会長に退くことで、持木君ががんばるだけではなく、周りの幹部やマネージャー、スタッフも一丸となって、持木新社長を支えてくれるとともに、自分の良さを遠慮なく発揮しやすくなったのではと思います。持木君には、長年続いた僕のワンマン型経営/リーダーシップとは違うスタイルのリーダーシップを発揮し、オーシャンブリッジをさらに一段高いところへ引き上げてくれることを期待しています。

持木君、がんばって!

さて、続いて僕の病気について書きたいのですが、長くなったので記事を分けて別の記事にします。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。2016年10月に脳腫瘍、悪性リンパ腫の2つのがんから卒業。同年、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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