株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2014年06月02日
実は先週の水曜日から急遽入院していたのですが、本日、退院しました。感染症による発熱と、昨年の化学療法を原因とする白血球(好中球)の減少があったのですが、お陰さまで無事に回復しました。
先週の月曜日に38〜39度の熱を出し、火曜日まで家で寝込んでいました。昨年の退院時にもらった解熱剤を飲みながら。
ちょうどその翌日の水曜日に、虎の門病院の主治医のGY先生の定期診察があったため、解熱剤を飲んで、家内に付き添ってもらってタクシーに乗り、病院へ。診察前に受付で熱があることを伝えたら、すぐにGY先生の診察室に通され、その場で検査の手配がなされました。
血液検査、インフルエンザ検査、レントゲン撮影などを終えて、一通りの検査結果が出たところで再度、診察室へ。
すると、血液検査の結果、白血球、特に好中球が非常に減少しているとのこと。好中球は白血球の中で最も多くの割合を占め、体内に侵入した細菌などを殺す役割を担っています。この好中球の値が、通常50〜60のところ、8.5でした。
しかもこれは機械による検査結果で、先生が検査部門に電話で確認したところ、顕微鏡で見ると血液中にほとんど好中球が見当たらず、実際の数値は8.5どころか2程度とのこと。つまり僕の体はほとんど免疫力がなく、感染に対してノーガード状態だったのです。
治療としては、感染症による発熱を治療するための抗生剤の点滴と、好中球を増やすための注射(ノイトロジン)が必要とのこと。GY先生は、「通院でも治療できなくはないですが、抗生剤の効き具合や、血液検査による血球数の状況を注意して見る必要がありますし、抵抗力もない状態なので、入院をお勧めします」とのこと。
ただ、僕は昨年の7ヶ月の入院時の辛い経験から、再入院に対して大きな抵抗がありました。また娘も昨年の寂しい思い出が強く残っているようで、折に触れて僕に「パパ、もう病院にお泊りすることはないんだよね?」と言ってきます。
診察室で家内と顔を合わせて答えあぐねていると、GY先生は「もうちょっと強く入院をお勧めした方が決めやすいですかね」とのこと。「はい」と応えると、「じゃあ、入院することを勧めます」と言われ、入院を決めました。
そのまま家内は入院手続きへ。僕は処置室で追加の検査(血液培養検査の採血、心電図検査)をして、注射(ノイトロジン)をし、抗生剤(マキシピーム)の点滴を入れてもらい、そのまま点滴棒を押しながら入院病棟へ。診察からの緊急入院となりました。
病室へ入ってから、家内には着替えなどを取りに一度家に帰ってもらいました。その後荷物を持って戻ってきた家内は、娘の保育園のお迎えのためにとんぼ返りで帰っていきました。
このように自分でもビックリの緊急入院でしたが、入院後、抗生剤の点滴が効いて熱はすぐに下がり、また好中球を増やすノイトロジンの注射も早めに効果が出て、今朝の血液検査の結果では好中球は35.5にまで回復していました。それで退院が決定しました。
好中球は、入院直後は一時的に0.5にまで下がっていたのですが、ノイトロジンの注射のお陰で劇的に回復しました。
今回の好中球の減少は、昨年の白血病・悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ腫)治療のための入院中に化学療法の一環で受けたリツキサンという分子標的薬の点滴の影響のようです。リツキサンを点滴してから約6ヶ月後に好中球が減少することがあるとのこと。僕は昨年12月に最後の化学療法を終えて退院しましたので、まさにドンピシャのタイミングです。それで免疫力が激減したところに感染を起こし、発熱したようです。
発熱を含めた今回の病名としては「好中球減少性発熱」とのことでした。
それにしても、熱を出した直後に虎の門病院での診察が入っていて、本当にラッキーでした。あのまま家で寝ていたり、近所の内科医にかかったりしていたら、感染症が悪化し、肺炎などを起こし、命に関わっていたかもしれません。なにしろ、好中球がほぼゼロ、抵抗力がほぼゼロの状態でしたから。
その意味で、非常にラッキーな緊急入院でした。
いずれにせよ、お陰さまですっかり元気ですので、どうかご心配なく。
一部の方から、Facebookやブログ等の投稿がないのを見て、ご心配いただくメッセージもいただいていました。
改めて、ご心配いただきありがとうございました。
今回のことで、改めて、まだまだ自分の身体には注意が必要だと実感しました。
これからも何が起こるか分かりませんが、とにかく再発だけはさせずに、最低でも16年後の娘の二十歳の誕生日までは必ず生き続けたいと思います。
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【投稿者】nori 【コメント】コメント (2)
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投稿者 有吉彰英 : 2014年6月 4日 17:18
ご無沙汰しております。大変でしたね・運良く病院で結果的には良かったですね。 |
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投稿者 オーシャンブリッジ高山 : 2014年6月 5日 14:06
有吉さん、ご心配をお掛けしました。 奥様もその後順調とのことで、安心いたしました。 私は次回の女子医大は7月です。どこかのタイミングでまたお会いいたしましょう! |
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治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):
1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。
2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。
2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。
2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。
現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
※病気や治療に関するご相談はメールでもSNSでも一切お受けしておりません。仮に質問などをお送りいただいてもご返事できかねます。私もあくまで一患者であり医療関係者ではありませんのでその点ご理解ください。
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