2011年03月21日

2011.3.11のこと

東北地方太平洋沖地震の発生から10日経ちました。

改めて、自分自身の地震当日の経験を、ここに記録しておきます。帰宅難民となって家族と京王百貨店で夜を明かしたときの記録です。(長文です)

■地震発生

2011年3月11日(金)は、オーシャンブリッジの管理部門以外のメンバーは全員、丸一日、社外の貸し会議室でミーティングをしていました。2つのディビジョン(事業部)に分かれて、営業系メンバーも技術系メンバーも一緒に、今年度の業績レビューを実施し、来年度の事業戦略を練るというミーティングでした。場所は同じ渋谷の東急本店近くの貸し会議室。

朝9時に僕を含む全18人(1人は休暇)が貸し会議室に集合して、ミーティングはスタートしました。
オフサイトでの来期事業戦略ミーティングがスタート

なおオフィスに残っていたのは、管理部門メンバー2人と技術部門の派遣メンバー1人の合計3人でした。

午前のミーティングが終わり、デリバリー弁当のランチを貸し会議室内で食べて、午後のミーティングをしている最中の14時46分に地震が発生。7階の貸し会議室は結構揺れました。

揺れが一段落してから、全員で非常階段を使ってビル外に退避。ビルのガラスが割れて落ちてくることを恐れて広いところに退避しようということで、とりあえず東急Bunkamuraの裏手の広場的なところに移動して待機。オフィスに残された管理部門メンバーたち(女性2名、男性1名)が心配なため、一部メンバーが余震の続く中、オフィスに跳んでくれました。

その間、僕は家内に連絡。家内はこの日所用のため、娘を連れて、横浜からベビーカーを押して都内に出てきていました。電話は通じないため、TwitterのDMでやり取り。地震発生当時、永福町にいた二人。家内にはDMで「後で渋谷で落ち合おう」と連絡。その後、家内から「とりあえずバスで新宿に出ることにした」との連絡が届きました。このタイミングでバスで移動できたのは後から考えると幸運でした。しばらく後には、とてもバスには乗れない、乗れたとしてもバスが動かない、という状況になってしまいましたので。

続いて心配だったのが、翌日の親戚の結婚式のために上京してきているはずの母。もしかすると、移動中の高速バスの中で地震に遭っているのではと危惧していました。しばらく後に、「すでにバスで新宿に着き、買い物をしていた京王百貨店の中で足止めされている」とメールで連絡が。

家内からも「お母さんは大丈夫?」との連絡があったため、「京王百貨店にいると連絡あり。僕もオフィスに一旦戻ってから新宿に向かいます」とDMで返信。偶然にも、家内、娘、母の3人が新宿に集結することになりました。後から考えるとこれが助かりました。

そして姉も所用で長野から一人上京してきていたのですが、この時点では所在は確認できず。ちなみに、その後分かったのですが、姉の主人も、たまたま八王子に日帰り出張で来ていたとのこと。長野の親族がこぞって上京していたという非常に珍しい日でした。

さて自分は、一時間ほどみんなと外で待機した後、オフィスを出てきた管理部門メンバーたちとも合流し、一旦みんなで貸し会議室に戻りました。貸し会議室を片付け、鍵を管理会社に返還してもらった後、みんなでオフィスに戻りました。

9階建てのビルの9階のオフィス内はひどい状況でした。特に僕の机の周りは、机の上にあったもの、ScanSnap(スキャナー)や本(積ん読の山)が全て床に散乱し、そして机の脇にあったキャビネットが倒れ(たまたま最近移動したため、L字金具で固定されていなかった)、ぐちゃぐちゃでした。
2011.3.11

リラクセーションスペースは、本棚に入っていた雑誌やお菓子類が散乱。
2011.3.11

いずれにしても当日は片付けきれないため、ざっと状況を確認した上で、オフィスを後に。ビルの前でみんなと解散しました。17時27分頃。

■家族を探す

会社のメンバーと別れてから、そのまま自分は徒歩で新宿に向かいました。途中、コンビニに立ち寄り、傘やレインコートを購入。この時点では、雨は降っていなかったのですが、少し前には渋谷でも小雨が降っており、夜間の降水確率は30%という情報がありました。この日は、最悪、徒歩で横浜の綱島まで帰ることを覚悟していました。その際に雨が降ると大変だと考えて雨具を買いました。自分たちよりも娘が濡れないように、レインコートをベビーカーにかけてあげようと思っていました。

ちなみに食べ物、飲み物については、オフィスを出るときに、オフィスにあったペットボトルのお茶数本とカロリーメイトを数個(置き菓子コーナーのものを購入)、カバンに入れてありました。これも徒歩での帰宅を考慮してのことです。

早足で明治通りを北上。その間、家内には随時、Twitterで現在地を報告していました。あわよくばタクシーを捕まえようと右車線の歩道寄りを歩いていたんですが(向かいから来たタクシーを捕まえやすいように)、タクシーは捕まえられず。45分ほどで新宿に到着。

新宿到着直前にTwitterで家内に現在地を聞いたところ「小田急の改札近くで娘にご飯を食べさせてる。デパートの入り口近く、旅行パンフレット置き場近く」とのこと。後で聞いたら、離乳食は用意していなかったため、やむなくファーストフードのフライドポテトをあげていたとのこと。

急いで小田急線の改札に向かい、家内、娘と合流。駅構内の旅行パンフレットコーナーの地面に、パンフレットを敷いて座り込んでいました。18時33分。周囲には同じように足止めされている人たちがあふれ、みんな座り込んでいました。

二人の所在を確認した上で、母を探しに隣の京王百貨店へ。母には詳しい所在地を教えてくれるようメールしていましたが、届いているのか届いていないのかも分からない状態。でも京王百貨店にいるはずなので、歩き回れば見付かるだろうと考えていました。案の定、京王百貨店に入ってから数分後、婦人靴コーナーに座っている母を見付けました。18時41分。店内で買い物をしているときに地震が発生し、そのまま店内にいたとのこと。店内には、同様にたくさんのお客さんが座り込んでいました。

ちなみにバスで新宿に到着後、小田急百貨店内にいた家内と娘は、18時になると館内点検のためということで店を出ることになり、駅構内で待っていたとのことでした。

小田急線の駅構内に比べ、京王百貨店の店内の方が暖かいため、家内と娘も連れてくることに。再度、小田急線の駅に行くと、家内と娘は、周囲の方々と話をしていました。赤ちゃんがいるということで、周囲のみなさんもいろいろと気を遣って下さったようです。そんなみなさんにご挨拶をしてお別れし、3人で京王百貨店に移動。

京王百貨店はすでに閉店時間だったため、出入り口に従業員の方々がいて、新規の客の入店は断っていましたが、店内に家族がいると説明して、入店させてもらいました。ようやく、京王百貨店で4人が一緒になりました。18時54分。

京王百貨店は、店内に残っている人たちは好きなだけいて下さいというスタンスだったため、まずは当面の安全な居場所が確保できたことになります(本当に助かりました)。続いての懸案は、その後どうするか。その時点の情報で、JRはもう当日中の復旧はないとのこと。またタクシーはほぼ捕まらないだろうと判断していたため、綱島に帰ることはその時点でほぼあきらめていました。後はバスを使って都内の親戚の家(経堂、荻窪、浜田山)に行くか、近隣のホテルに泊まるか。あるいは、家内が4月から復帰する職場(初台の病院)に徒歩で行ってお世話になるか。

まずは親戚の家に行く可能性を探ろうと、京王百貨店の方にバス乗り場の案内図をいただき、行き先等を確認の上、バス乗り場へ。しかしバスはものすごい長蛇の列。行列は地上の乗り場から階段を経て地下に延び、地下街をあっちに行ったりこっちにいったりで、どこが最後尾なのかも分からないような状態。しかも目処を付けていたバスは1時間2本しか出ていないため、バスでの移動も断念。

その後、駅を出て、周囲のホテルを数軒回るも、その時点でどこも満室。ロビーも立ち往生する人たちであふれていました。

京王百貨店に戻り、家内、娘、母と再度合流。こうなったら、もう朝まで京王百貨店にいさせていただこうと決めました。京王百貨店の方いわく建物の耐震はしっかりしているということと、何よりも暖かく娘にとっても安心だということで、駅や道路の大変な混乱・混雑の中を、ベビーカーを押して無理に移動するよりも得策と判断しました。

またこの時、Twitterを見ていた友人・知人から、「もしよければ私の家に泊まって下さい」というメッセージをたくさんいただきました。Hさん、Nさん、Kさん、Mさん他、本当にありがとうございました。本当に心からうれしかったです。

■京王百貨店で夜を明かす

特に赤ちゃんと夜を明かす上で、京王百貨店にいさせていただけたのは、本当に助かりました。替えのおむつが無くなってしまったため、家内が京王百貨店の従業員の方に聞いたところ、もうレジは締めてしまったが販売して下さるとのこと。家内と娘は、7階の赤ちゃん用品売り場でおむつを購入し、その近くの赤ちゃん休憩室でおむつを取り替え、そのままそこのカーペット敷きの遊び場で遊んでいました。

しばらく後に自分も1階から7階に上がってみると、赤ちゃんのいる家族が何組か、そこで時間を過ごしていました。そのため再度1階の靴売り場に降り、母も連れてきました。この赤ちゃん休憩室が、我々が夜を明かす拠点となりました。21時頃。
2011.3.11

落ち着いたところで、それまでなかなか連絡が取れなかった姉とようやくメールで連絡が取れました。新橋からバスで渋谷に向かっているところだが、なかなかバスが進まないとのこと。仮に渋谷についても、そこから新宿にまで来るのは難しいため、渋谷に住んでいる従弟に面倒を見てもらおうと、姉と従弟にメールと電話で連絡。二人と連絡が取れ、青山でバスを途中下車した姉を、従弟にバイクで迎えに行ってもらうことに。これで一安心。21時39分。姉によると、姉の主人も、なんとか仕事関係の方の家に避難できたとのこと。こちらもよかった。

その後、家内と娘は赤ちゃん休憩室奥の授乳室(個室)で授乳しつつ、横になって仮眠を取り、母はカーペット敷きの遊び場で赤ちゃんに囲まれながら横になって仮眠を取っていました。

僕も横にはなるのですが、Twitterで流れてくる情報が気になり、また余震も治まらなかったため、なかなか眠ることができませんでした。赤ちゃん休憩室にテレビモニターはあったのですが、電源が入っておらず、情報源はネットのみ。外で何が起きているのか、地震の被害状況はどうなのか、余震はまだ起きるのか、交通機関はどうなっているのか等々が気になり、ずっとiPhoneでTwitterをチェックしていました。それでも、1〜2時間ほどは横になって眠れたかと思います。

こうして一晩中Twitterをチェックしていたのですが、深夜にふと思い出して、仕事のメールをチェックしてみたら、海外のパートナー企業のCEOたちから、続々と心配のメールが届いていました。そのほとんどが、「ニュースで日本の地震、津波の大変な映像を見た。みんな大丈夫か」というものでした。これも本当にうれしかったです。iPhoneから逐一返信をしていました。ただ、前述の通り、自分自身はテレビのニュースを見ることができなかったため、被災地がどんな状況になっているのかをその時点では理解できていませんでした。その後帰宅してテレビを見てから、彼らがどんな映像を見て連絡してきてくれたのかがようやく分かりました。

このようにずっとiPhoneを使っていたため、当然バッテリーはどんどん消費されます。普段持ち歩いているeneloop mobile boosterが非常に役に立ちました。また赤ちゃん休憩室は電源もあったため、その点でも安心でした。eneloopのバッテリー残量も少なくなってくると、PC(レッツノート)からUSBケーブルでeneloopを充電しました(直接iPhoneやeneloopを充電できるUSBチャージャーを持っていなかったため)。そしてレッツノートのバッテリーが心配になると、コンセントをお借りし、ACアダプタでレッツノートを充電させてもらいました。普段はレッツノートのACアダプタは持ち歩いていないのですが(バッテリーが10時間以上持つため)、この日は終日社外でのミーティングということで、たまたま持っていたのがラッキーでした。

ただこの時、ドコモのガラケーの方の充電用ケーブルを持っていなかったため、そちらはバッテリーが切れる寸前となってしまいました。いざと言うときのため、ドコモ用のケーブルも常にカバンに入れておこうと思いました。USBチャージャーもそうですね。そして改めて、巨大バッテリーパックとしても使えるレッツノートには頼りがいを感じました。

■京王百貨店の対応のすばらしさ

そうして赤ちゃん休憩室で夜を明かしたのですが、その間の京王百貨店の従業員の方の対応がすばらしく、感動しました。

当然ですが赤ちゃん休憩室には赤ちゃんがたくさんいます。泣いてしまう赤ちゃんもいます。そうした状況を見て、従業員の方が音の出る絵本をたくさん持って来てくれました。これで気が紛れた赤ちゃんがたくさんいました。
2011.3.11

深夜になると、「これ召し上がって下さい」と、なんとパンの差し入れをして下さいました。一人2つずつ袋に入れて。これも本当にうれしかったです。お昼のお弁当から何も食べていなかったため、ありがたくいただきました。1時40分。

従業員のみなさんは、それぞれ持ち場が決まっているようで、自分の持ち場(廊下など)に折りたたみ椅子を置いて座り、待機していました。そこを通り過ぎてトイレに行こうとすると、わざわざ「こちらですよ」とエスコートまでしてくれました。僕たちが京王百貨店を出る直前の、開店に向けてトイレが清掃されている時には、わざわざ清掃員の方に声を掛けた上で「どうぞご利用下さい」と言って下さったりもしました。

従業員の方もご家族のことなど心配でしょうし、早く帰宅したいという思いも強いはずですが、そんなことはおくびにも出さずに、徹夜で店内に待機し、店内に残っているお客さんのケアをして下さいました。この姿勢には本当に頭が下がりました。

■帰路につく

夜が明けました。Twitter等を見ると、山手線も8時頃には運行再開との情報。山手線が動き出して、しばらくしたら僕たちもここを出ようと家族と話しました。東横線は大分前に動き始め、それほど混雑もしていないという情報を、Twitterでも入手していました。

朝になり、家内が赤ちゃん休憩室の流し台や電気ポットをお借りして娘の離乳食(先ほどいただいたパンをお湯に浸したもの)を用意し、食べさせている間に、同じく待機していた別のご家族が帰り、僕らが赤ちゃん休憩室に残る最後の家族となりました。「遅くまで甘えてしまいすみません」と従業員の方に言ったら、「いいんですよ、ごゆっくりされていって下さい」と笑顔で返され、また感謝。

娘のご飯が終わり、身支度を調え、赤ちゃん休憩室を後にしたのが9時20分。帰ろうとすると、ずっと面倒を見て下さっていた従業員の方が、なんと出口までエスコートして下さいました。従業員用のエレベーターを使い、搬入口を通り、一階の売り場を通って一般客用の出入り口まで。出入り口では、従業員の方々が並んで、「ありがとうございました」と頭を下げて下さいました。いや、「ありがとうございました」と頭を下げるのは、こっちの方です、と本当に恐縮してしまいました。

京王百貨店を出てから、渋谷からバイクで従弟に送ってきてもらった姉と合流。その日に長野に戻ろうと思ったけれども、特急あずさの復旧の見通しが立たないということで、一緒に綱島に行くことに。

みんなで山手線に乗ろうとJRのホームに行くと、運行再開直後だったこともあり、車内はかなり混雑していました。ベビーカーを持っての乗車は難しそうなため、結局は山手線はあきらめて、タクシーで渋谷に向かいました。タクシーはそれほど並んでいませんでした。道も混んでおらず、スムースに渋谷へ。

渋谷からの東横線は比較的空いていたため、みんな座って帰ることができました。

綱島で東横線を降り、歩いて自宅へ。オフィスの状況を見ていたため、自宅も大変なことになっているのでは、と非常に心配していたのですが、フィギュアが一つ床に落ちていたのと、書斎の積ん読の山が崩れていた程度で、ほとんど異常はありませんでした。

■その後

帰宅後、一時間ほどで準備をして、タクシーに乗り、親戚(従兄の長女)の結婚式に行きました。タイミングがタイミングだっただけに心配しましたが、ほとんどの招待客のみなさんにご列席いただいたようです。新婦が小さい頃から知っているだけに、感慨深く、涙を誘うすばらしい結婚式でした。

そしてこの2日後、娘は無事に1歳の誕生日を迎えました。

■最後に

改めて、下記のみなさまには感謝を申し上げます。

京王百貨店の従業員のみなさま。本当に、言葉にならない感謝の気持ちでいっぱいです。

Twitterで「うちに泊まって下さい」と言ってくれたみなさま。最後の最後には何とかなる、と本当に心の支えになりました。

Twitterで情報提供してくれたみなさま。電車の運行状況や横浜の停電状況など、みなさんからの情報のお陰で、家族を守るために適切な判断ができました。

Twitterで何かとReplyをくれ、勇気づけてくれたみなさま。みんなと「つながっている感」が力になりました。

海外からニュースを見てすぐにメールを送ってくれた海外パートナーのみんな。僕たちのことを心配してくれる一つ一つのメッセージを見て、涙が出そうになりました。


最後に、自分たちとは比べものにならないほどの大変な困難に直面されている被災地のみなさまには、改めて心よりお見舞い申し上げます。

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投稿者 八方ふさがり : 2011年3月22日 00:30

みなさんご無事で良かったです。京王百貨店、見直しました。感動しました。

投稿者 オーシャンブリッジ高山 : 2011年3月22日 17:29

ありがとうございます。本当に京王百貨店はすごいと思いました。
真の顧客サービス、真のホスピタリティを見た思いがしました。

高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
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〈ブログに書かれていないがん闘病のポイントと、時系列で読みやすく再構成された闘病記を、コンパクトな一冊に〉

プロフィール

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校→早稲田大学 政経学部→アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ→Web関連ベンチャー→(株)オーシャンブリッジ設立・代表取締役社長就任→現在、同社ファウンダー。横浜市綱島在住。趣味はおりがみ。2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術を受けて成功、ただ視野の左下1/4を失う。2013年5月からは7ヶ月間入院して悪性リンパ腫・急性リンパ性白血病の抗がん剤治療を受ける。帯状疱疹後神経痛も発症。2016年10月に2つのがんから卒業(それぞれ5年、3年経過)。しかし2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、さい帯血移植治療を受け、いまも闘病中です。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※最近、メールやFacebook等で個別にご連絡やご相談をいただくことが以前よりも増えております。私の時間と体調の許す限りはご返事差し上げていますが、全てのご連絡にご返事できるとは限りませんことをご了承ください。

※また、病気や病院に関するご質問をいただく際には、事前に私の著書「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご質問いただけると助かります。最近いただく質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解の程、よろしくお願い申し上げます

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