読売新聞の震災特集記事「巨大地震の弱点」に京王百貨店で夜を明かした経験が掲載(2016年2月22日朝刊)

昨日2016年2月22日付の読売新聞朝刊の震災特集記事「震災5年 あの時〜巨大地震の弱点」という特集記事に、僕の家族の体験が掲載されています
読売新聞 2016/02/22朝刊 掲載記事 震災


東日本大震災から5年が経過し、被災地はもちろん、首都圏も含めて、あのとき起こったことを紙面で再現し、今後の教訓としようという特集記事です。
僕の家族は、「寒さの中 行き場なし」という見出しのもと、新宿で一夜を明かした帰宅困難者として登場しています。
読売新聞 2016/02/22朝刊 掲載記事 震災
「駅、百貨店 次々閉鎖」という見出しの欄で、

0歳の娘を抱いて都内の子育てセミナーに来ていた横浜市の主婦、高山由貴さんは、仕事帰りの夫が合流するのを小田急百貨店で待っていた。

とあるのが家内と娘、そして僕です(ちなみに家内は当時は子育てのために休学・休職中だったので、主婦となっています)。
「『店にいて結構です』」という見出しの欄では、

高山さんは都庁への誘導が始まる前に仕事帰りの夫と合流し、午後7時前、ようやく連絡が取れた義母がいる京王百貨店に向かった。

と、電車が運休となる中、京王百貨店で一晩を過ごさせてもらった経験を、家内が語っています。
詳しくは読売新聞紙面をご覧ください。
この震災の夜の経験は、当時のブログ記事に詳しく記録してあります。今回の読売新聞の記事も、このブログ記事を記者の方が見つけてくださって、取材依頼があったものです。記者のOさんはわざわざ綱島のカフェカルディまでお越しくださって、私と家内、娘の三人に取材してくださいました。
記者のOさんは、取材のとき、

当時の記録を探そうとTwitterをさかのぼったのですが、もう時間が経ち過ぎていてなかなか見つけられませんでした。でも高山さんは、ブログに時間も含めて詳しく記録を残されていたので、当時の状況を把握するのに非常に参考になりました。

とおっしゃっていました。私は以下のようなお話をしました。

あのとき、家内と連絡をとるのも、メールがつながらなかったためTwitterを使っていました。また友人たちにも状況を逐次Twitterで発信していました。そのため、後でブログに書き起こすときにも、Twitterの記録を見れば、時間も含めて正確に書けたのです。

やはりリアルタイムの情報発信にはTwitterが便利ですし、ある程度の分量の情報をまとめて記録して共有するためにはブログが最適だと思います。フローとストックの違いですね。

その当時のブログ記事はこちらです。
▼2011.3.11のこと|オーシャンブリッジ高山のブログ
改めて、京王百貨店のみなさま、あの日は本当にお世話になりました。家族一同、心から感謝しています。

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