2014年06月24日

社員の言葉に涙/底なしの深い海に沈んでいく:白血病・悪性リンパ腫闘病記(24)

前回の闘病記からの続きです。

◼︎2013年6月3日(月)。入院22日目。抗がん剤治療開始から14日目。

前日から引き続き便秘。朝来た看護師のIさんに、前日の腹痛と便秘の件を相談したところ、お腹を触ってくれ、「あまりにも腸の動きがないため、便秘になっている」とのこと。前日の夜に飲んだ下剤のアローゼンをお昼に飲んでもいいかもしれない、また水も多めに飲んでください、とのこと。

その後回診にいらした担当医のMY先生にも相談したところ、やはりアローゼンを飲んでもう少し様子を見ましょう、とのこと。

主治医のGY先生もその後いらっしゃいました。まだ白血球の数値は低いこと、この日のステロイド剤(デキサート)の点滴で、抗がん剤治療「Hyper-CVAD/MA療法」の1コース目の治療は終わりになること、翌週あたりにMRIで腫瘍がどれだけ小さくなっているかを見ることなどをお話しされていきました。「腫瘍は小さくなっていると思うんですけどね」とお聞きして、本当にそうだといいなあと思いました。

また、この日から病院食が常食から過熱食に変わりました。白血球の数が下がって免疫力が下がっているため、感染症のリスクを避ける意味で、全ての食材に火が通されることになりました。差し入れも、過熱してあるもの以外はNGとなりました。

その加熱食の昼食後、下剤のアローゼンを飲み、また夜にもアローゼンを飲みましたが、便秘は一向に改善しません。トイレには行くのですが、ほとんど腸の動きが止まっているため、何も出ません。

だんだんお腹が苦しくなっていきました。

◼︎2013年6月4日(火)。入院23日目。抗がん剤治療開始から15日目。

便秘はどんどんひどくなり、食べたものが胃から腸に下りていっていないことが自覚できるほどになりました。とにかく腸が痛く、そして胃にも食べ物が溜まり、かつ膨れた腸によって胃も圧迫されるため、胃も痛く、食欲がなくなりました。

とにかく苦しくて苦しくて、ただただお腹を抱えてその苦しさに耐えていました。

この日はお見舞いの予定が2件入っていました。学生時代の友人については、連絡して日程を変えてもらうことにしました。

ただ、会社の営業の幹部のS君とK君については、仕事の報告を聞きたかったのと、再調整するといつ2人の予定がいつ合うか分からないということがあったため、予定通り来てもらうことにしました。

K君は、お腹を抱えて弱った僕を見て、

「会社の方は大丈夫です。売上は心配しないでください」

と心強いことを言ってくれました。

僕はそれを聞いて、

「彼らをはじめとするオーシャンブリッジのみんなのお陰で、こうして会社のことを気にせず入院していられるんだなあ」

と、本当にありがたいと思う気持ちが湧いてきて、思いがけず涙が出てしまいました。

K君はそんな僕を見て、さらにこう言いました。

「高山さんも、もっと僕らに弱音を吐いてください。社長だって、もっと弱い部分を見せてくれてもいいんですよ」

これを聞いて、さらに涙が出ました。僕は何とか「ありがとう」と言いました。

僕は2001年のオーシャンブリッジ創業以来、「社長は一番給料が高いんだから、社内の誰よりも優秀であるべき」「誰よりもアウトプット(成果)を出すべき」「誰よりも勉強すべき」「誰よりも強くあるべき」と信じていました。だから、社員の前で涙を見せるなんていうことは、病気になるまで一度もありませんでした。

創業直後の資金繰りが厳しい時期や、その数年後に大赤字を出した時期にも、歯を食いしばって、税理士さんとともに銀行や信用保証協会を回り、代理店様やお客様を回り、リストラを断行し、何とか経営を立て直してきました。その間、会社でも家でも、涙を流すなんてことはありませんでした。

しかし、病気で心身ともに弱った僕からは、そんな強気やポジティブシンキングはすっかり消えていました。

身体的には前述のような副作用でお腹が苦しく、痛く、倦怠感も強く、とにかく何もできず、お腹を抱えて横になって辛さを耐え忍ぶしかないという状況でした。

そして精神的にも辛い時期でした。この辛い治療はまだ全6〜8コースのうちの1コース目に過ぎず、まだまだ何ヶ月も続きます。さらに、この先の見えない、辛い抗がん剤治療を受けても、この白血病・悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ腫)が治る保証はどこにもありません。最初に国立がんセンターで言われたように、5年生存率は40%です。こうした事実から、精神的にも落ち込んでいました。

お腹が苦しく、痛いことから、食事は全く食べられなくなりました。それどころか薬も飲めなくなり、看護師さんに手伝ってもらって無理やり水で流し込むという状況でした。

体重は毎日1キロずつ減っていき、入院前から10キロ減って49キロになっていました(その後さらに減ります)。「このまま毎日1キロずつ減って、最終的にはゼロになって死んでしまうのではないか」と本気で思いました。

自分が底なしの深い海に沈んでいくようなイメージが何度も頭に浮かびました。

虎の門病院の13階の病室の窓から見える周囲のビルの屋上を、ベッドに横になって眺めながら、「あそこから飛び降りたら、この苦しみから逃れられるんだろうか」という考えが一瞬頭をよぎったこともありました。

前述のように常に強気でポジティブに生きてきた自分は、それまでの人生で自殺なんて全く考えたこともありませんでした。

がん患者が高い確率でうつ病になるということが理解できました。

この日の昼間、お腹の症状を改善するため、抗がん剤の副作用で動いていない腸を動かす点滴を打ち、下剤(アローゼン)を飲み、さらに夜寝る前には、通常は5滴ほどを水に溶かして飲む液体の下剤(ラキソベロン)を、一瓶丸ごと飲みました。MY先生によると、「最終手段です」とのことでした。

でも本当の最終手段は、この2日後に実施されることになります。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。2016年10月に脳腫瘍、悪性リンパ腫の2つのがんから卒業。同年、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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