2017年03月30日

連載インタビュー「2度のがんを乗り越えたIT起業家」(ITpro)全5回が完結?

日経BP社のIT系ニュースサイト、ITproで、先週から僕のインタビュー記事を掲載してくださっていました。

その連載記事、「2度のがんを乗り越えたIT起業家」が、本日の第5回の記事で完結しました。

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目次ページはこちら(全文を読むには無料の会員登録が必要です):

▼2度のがんを乗り越えたIT起業家:ITpro

休日もゴールデンウイークも働くのが珍しくなかったという、猛烈な仕事人間だった高山さんは、2度のがんを経験したあと、会社=自分という生き方、働き方から卒業し、家族との時間を最優先で考え、後遺症という事実を受け入れ、それでも社会にどう貢献するか、を考えて新たな道を選ぶ。

 高山さんの選択は、あるべき働き方を考える全ての人間に強く訴えかける。

各回の記事への直接リンクはこちら。僕の視点で何箇所か記事中から抜粋しています:

▼第1回:40歳で経験した脳腫瘍、Excelの数字さえ見づらく

仕事よりもまず家族、そして次は自分の健康を優先するという、いわばごく普通の生き方だが、分かっていてもがんが発病するまでは働き方を変えられなかったという。

▼第2回:がんがきっかけ、IT起業家としての仕事より家族や健康

脳腫瘍を経験して、そういう働き方というか、精神的に仕事との距離の置き方というか、要するに人生のプライオリティーが変わったんですね。それまでは仕事が一番だったんだけど、優先順位が家族が一番、2番目が自分の健康で、3番目が仕事に変わりました。

▼第3回:悪性リンパ腫で7カ月の入院、体力が戻らない

創業者で社長を10年以上務めた高山さんにとって、部下からの指摘がこたえるものだったのは想像に難くない。だが似たようなやり取りを何度か繰り返すうちに、高山さんは現実を受け入れるようになったという。

2度の第4回:今の自分を受け入れ、分身だったIT会社を売却

「会社を辞めたらどうやって自分は生きていくのか、どういう生き方を子供に見せていくんだ」みたいなことを奥さんに尋ねたことがありました。その時、「もし株が売却できて、別に仕事する必要がなくなるんだったら何もしなくてもいいじゃん」と言われたんです。 その時に、何もしないで生きていくという選択肢ってあるんだと、すごくびっくりしました。そして、それでいいんだと思ったんです。  僕にとってはエポックメーキングな出来事です。それまではとにかく仕事をしなきゃいけない、会社に戻らなきゃいけないという切迫感、焦燥感がすごくありましたから。

▼第5回:がんの啓発ならほかのIT経営者に勝てる

 僕は今45歳なんですが、会社を興すとか、がんを乗り越えるとか、M&A(買収・合併)で自分が起こした会社を売るとか、普通の人生ではあまりないような経験をしてきました。自分で言うのも何ですが、45歳にして人生の一通りを経験したような感覚があります。  自分が会社を離れようと決めて、これからどうやって生きていこうということを考えたときの不安は、普通の方が65歳で定年を迎えたときの感覚に、もしかしたら近いのかなと想像することがあります。それが20年、人よりも早く始まったんじゃないかなと。
 その時、患者も会社も、前とは違うことを受け入れざるを得ないんだと思います。受け入れて、以前と同じようなペース、量で仕事ができないとなったときに、どこの部分で会社に貢献できるのかを、自分なりに見極めなきゃいけない。ほかの社員ではなく自分だからできること、会社に対して自分が提供できる部分はどこが一番なのかを見極めて、特化した働き方を会社に提案するということです。
 本来なら、ここで原稿は終わるはずだったが、取材後、状況が変わった。取材から少し経って、高山さんから「急性骨髄性白血病」という三度目のがんにかかったと連絡があった。

 悩んだが、高山さんにとっても一つの区切りにもなる、という言葉と、多くのビジネスパーソンの働き方に訴える部分が多いと考え、記事の掲載に踏み切った。

今も高山さんは「娘の二十歳の誕生日においしいお酒で乾杯してお祝いする」ことを最優先の目標に闘病を続けている。人生は前へ進み続ける。

取材のときは、日経コンピュータ編集長の中村建助さんに、綱島のカフェカルディまで来ていただいて、かなり長時間お話ししました。その膨大な内容を、僕の気持ちも踏まえて非常に的確にまとめていただきました。この執筆力、編集力はすばらしいと思いました。

最後に。

この記事のタイトル末尾に「全5回が完結?」と「?」を入れていますが、第5回の記事にもある通り、この取材の直後に急性骨髄性白血病が見つかり、今、入院しています。

記事の最後はこう締めくくられています。

 今も高山さんは「娘の二十歳の誕生日においしいお酒で乾杯してお祝いする」ことを最優先の目標に闘病を続けている。人生は前へ進み続ける。

そう、人生は前へ進み続けるのです。病気や経営危機などの難局が目の前に現れたとしても。

だからこの記事のお話はまだ続きます。だから「完結?」とさせていただきました。

日経BP社の中村さん、僕が急性骨髄性白血病も乗り越えたら、その後の話も聞いて記事に書いてくださいね。完結させずに前に進み続けましょう!

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。2016年10月に脳腫瘍、悪性リンパ腫の2つのがんから卒業。同年、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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