2014年07月24日

皮下注射の練習台に/長年の友の心遣い:白血病・悪性リンパ腫闘病記(36)

前回の闘病記からの続きです。

大渕からの涼しげな鯉の池のメッセージカード

◼︎2013年6月22日(土)。入院41日目。抗がん剤治療開始から33日目。

この日も前日に引き続き、朝から発熱。朝の検温で39.3まで熱が上がっていました。看護師さんと話し、MY先生にも相談してもらって、解熱剤のカロナールを飲み、ステロイドの点滴をしてもらい、氷枕を持ってきてもらいました。

しばらくすると熱は37.2度に下がり、もうしばらくすると36度台にまで下がりました。身体も大分楽になりました。

この日はそれまでのMA療法の抗がん剤の副作用で血球が下がり始めていたため、白血球を増やすノイトロジンの皮下注射がありました。この時期は毎日打ちます。

午後、家内がお見舞いに来てくれて、また手の爪を切ってくれました。前回切ってくれた時よりも上手くなっていました。奥さんのありがたみを実感しました。うれしかったです。

熱はしばらく落ち着いていたと思ったら、15時を過ぎた頃から寒気を感じたので、熱を測ったら38.5度にまた上がっていました。看護師さんにまたカロナールを持って来てもらって飲みました。

それでも熱は下がらず、一時間ほどしてまた熱を測ってみると38.8度にさらに上がっていました。看護師さんに氷枕を持って来てもらいました。看護師のKさんによると、カロナールは8時間空けないと飲めないとのことで、氷枕でしのぐしかありません。Kさんによると、やはり抗がん剤のキロサイドの副作用の可能性があり、その場合は薬が身体から完全に抜け切らないと熱が下がらないかもしれない、とのこと。

熱はその後夜まで、38.3度、37.2度、37.6度、37.5と高いまま推移していました。

◼︎2013年6月23日(日)。入院42日目。抗がん剤治療開始から34日目。

この日は早起きして、朝4時からサッカーのコンフェデ杯の日本対メキシコ戦を見ました。それくらい元気ということで、朝一では熱も36.8度に下がっていました。

しかしその後、7時頃に看護師さんが検温に来て測ったら、また37.7度に上がっていました。

お昼前には、昨日に引き続き白血球を増やすノイトロジンの皮下注射。

その後も熱は下がらず、夕方から夜にかけて、37.5度、37.9度、37.4度、37.7度、37.5度と37度台のままでした。

夕飯は売店で買って来たカレーパンを食べました。

病院の売店で買って来たカレーパン

発熱と多少の食欲減退、倦怠感以外には副作用もなかったため、この頃はiPad miniで、国内や海外の白血病・悪性リンパ腫、特に急性リンパ性白血病、B細胞性リンパ芽球性リンパ腫に関する最新の治療方法や治療成績、学術論文などを調べ、端からEvernoteにクリップしていきました。

◼︎2013年6月24日(月)。入院43日目。抗がん剤治療開始から35日目。

この日は朝一の検温で37.1度、その後9:30頃に測ったら36.8度。ようやく下がってきました。

朝、担当医のMY先生が来てくれ、ここ数日の発熱について話しました。

この発熱は、やはり抗がん剤のキロサイドの副作用ではないかと思います。まだ血球も下がっていないため、免疫力も下がっていないはずで、感染症ではないと思います。でも一応今日、胸のCTを撮りましょう。肺炎を起こしていないか確認するためです。また腫瘍自体が治療後に熱を出すこともあります。

この日、大学のサークルの同期であるOから、涼しげなメッセージカードが届きました。立体的な錦鯉の池です。僕を勇気づけるメッセージも書かれていました。

彼女は僕のことを心配して何度もお見舞いに来てくれて、また僕が副作用等で苦しんでいて会えない時などは、こうして病院に頻繁にメッセージカードを送ってきてくれました。彼女とは早稲田時代に、サークルの副幹事長を二人でやった仲です。25年来の友人です。長年の友人のこうした心遣いは、本当にありがたいと思いました。友人のありがたさを心から感じました。

◼︎2013年6月25日(火)。入院44日目。抗がん剤治療開始から36日目。

この日も熱は37.5度。

でも身体はそれほど辛くありません。入院生活が続き、筋力の衰えを感じたため、ベッドの上でストレッチ、腕立て、腹筋、ベッドの脇でスクワットなどをしました。

午後にはまたノイトロジンの皮下注射です。でもこの日は、新人看護師のYさんが打ちました。ベテラン看護師のKさんの監督の元に、僕が練習台になったわけです(笑)。通常、この皮下注射はあまり痛みを感じないのですが、この時は初めて痛いと感じました。さすが新人さん(笑)。僕はその後も何度も、皮下注射の練習台として新人看護師さんの教育に貢献しました(笑)。頼みやすかったのかな?

この日の午後はずっと、iPad miniで海外の学術論文を調べて過ごしました。辞書を引きながら読んでいると、徐々に学術用語にも慣れてきて、いちいち辞書を引かなくても読めるようになっていきました。読んだ論文は全てEvernoteに保存していきました。

夕飯は、家内にコンビニで買ってきてもらったチーズ牛丼を食べました。

チーズ牛丼

この頃はもう病院食にアレルギーを強く感じるようになっていて、食べられなくなっていました。ロビーに掲示される献立表をiPhoneで写真に撮り、それを見ながら、絶対に食べられそうにない献立の時は、家内にお弁当やパンなどを買ってきてもらうようになっていました。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う

2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。

2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。

2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。

現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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