株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2011年10月12日
6月27日(月)に東京女子医科大学病院に入院しました。
当日は渋谷まで東横線で行き、渋谷駅からタクシーで病院に行きました。奥さんと娘が一緒に来てくれました。
入院の受付時間である午前10時の10分前には病院に着きました。まず窓口に行って入院の手続きを済ませ、その後、入院病棟の病室に入る前に、眼科に行きました。この日10時から眼科の診察の予約が入っていたためです。僕の場合、視覚を司る後頭葉に腫瘍があり、自覚症状としても視覚障害(目を酷使すると視野の左側がゆがむ症状)が起きていたため、手術の前に念のため目も詳しく検査しておく必要があったようです。
この眼科の診察が非常に待たされました。入院案内のパンフレット等を読んで待っていたのですが、結局2時間も待合ロビーで待たされた挙句、入院病棟から連絡があり、先に病棟に行って病室に入ることになりました。
病棟の看護師さんからすると、本来は先に病室に案内し、病室のベッドの上で眼科の診察の順番を待ってもらえばいいということだったようです。しきりに「段取りが悪くて、お待たせしてしまい、すみません」と言っていました。それで逆に、「この病院の看護師さんは患者思いだな」と感じた次第です。
案内された病室は6人部屋でした。
病室については、お見舞いに来てくださった方からも、「個室じゃないんですね」と言われたのですが、あえて個室や2人部屋は避けました。もちろん、長期の入院になるため、一日あたり数千円〜数万円の追加料金がもったいないということもあったのですが、それ以上に、T君のアドバイスが大きかったです。この女子医大を紹介してくれた、幼なじみで、某大学病院で放射線科医をしているT君です。彼からはこんなアドバイスをもらいました。
・個室に一人でこもっていると、誰でも気が滅入ってくる。
・2人部屋は、もう一人の患者さんと気が合えばいいが、合わなかった時が最悪。
・大部屋の方が、同じような境遇の患者さんもいるし、脳外科の患者さんたちは内科等に比べると意外と元気があるので、いろいろと気が紛れていい。
実際、彼のアドバイスに従ってよかったです。
入院前は、「まずは大部屋に入って、もしうるさいとか気が散るとかいうことがあれば、個室や2人部屋に変えてもらえばいいや」と思っていたのですが、その後退院まで、部屋を変わりたいと思ったことは一度もありませんでした。
この病院がそうなのかこの病棟がそうなのか分からないのですが、大部屋でもベッドの周りに常にカーテンを引いてプライバシーを確保している患者さんが多く、患者間の会話はそれほど多くありませんでした。
それでも何人かの患者さんとは仲良くなり、ちょっとした機会に会話したり、お見舞いをおすそ分けしたり、その方のご家族がお見舞いに見えるとお互いの家族も交えて世間話をしたり、という交流がありました。ベビーカーに乗ってお見舞いに来るうちの娘をかわいがってくださった方も多くいらっしゃいました。
でも普段はカーテンをひいて自分の時間が確保できます。僕にとってはほどよい距離感という感じでした。
そして、同じ病室の他の患者さんと看護師さんが話している内容を横で聞いていると、気が紛れるのと同時に、意外と貴重な情報が得られるという点もよかったです。同じような境遇の患者さんがいるため、○○先生は何曜日は手術日だから忙しいとか、放射線治療の混み具合がどうとか、シャワーの予約は何時頃が空いているとか、1階の売店の閉店時間は何時だとか、そういう情報が、意外と入院生活で役に立ちました。まあ盗み聞きなのですが(笑)。
さて、病棟に着いて、病室に入って、すぐに採血があり、そして昼食が出てきました。初めての病院食です。意外とおいしいと思いました。
お昼を食べ終わると、眼科から順番が来たと連絡があり、検査に向かいました。視力検査や目の動きの検査、簡単な視野検査などを行いました。網膜剥離の疑いもあったようで、教授による診察もありましたが、最終的には目には問題はなかったようです。
ひと通りの目の検査が終わってから、売店や図書室などをのぞいて、病棟に戻ると、看護師さんたちが待っていました。入院初日で、かつ手術が近いということで、眼科以外にもたくさん検査の予約が入っていて、それぞれの科から催促がきているとのこと。一旦病室で検温や問診をした後、すぐに病棟を出て、順番に検査をして回りました。心電図、肺機能検査、X線、CTの各検査です。
ひと通り終わってからまた病棟に戻りました。ここでようやく少し時間に余裕ができたため、看護師のKさんが病棟内を案内してくれました。このKさんが、僕のメインの担当看護師さんとなり、退院まで大変お世話になることになります。
入院中はそれぞれの患者に看護師さんが常に一名、担当でついてくれます。朝から夕方までは日勤の担当看護師さん、夕方から翌朝までは夜勤の担当看護師さんです。日勤と夜勤が切り替わる朝と夕方、「日勤担当の○○です。よろしくお願いしますね」「夜勤担当は○○です」と挨拶に来てくれます。
僕はメイン担当がKさんのため、日勤でも夜勤でも、Kさんが出勤しているときは、必ずKさんが僕の担当になります。Kさんがお休みのときは、出勤している別の看護師さんが担当になります。僕の場合、2ヶ月強の入院期間中、Kさんを含め15人ほどの看護師さんにお世話になりました。できるだけそれぞれの看護師さんの名前を覚えて、名前で話しかけるようにしていました。長い期間お世話になるわけですので。
Kさんが病棟案内をしてくれた後、若い先生が病室にいらっしゃって、入院の承諾書にサインをし、手術に関する主治医の先生からの説明の日程を調整しました。ここまででようやく一段落。夕食の時間となりました。
夕飯を食べ終わって、iPhoneでTwitterやFacebookを見ると、たくさんのメッセージが届いていたため、できるだけ返信しました。ただこの頃になると、目を酷使すると視野の左のほうがゆがむという症状が出る頻度が増えてきており、あまり長くiPhoneを触ったり本を読んだりすることができなくなっていました。
21時、消灯時間になりました。が、さすがにその時間には眠くならず、この日、実際に寝たのは22時半頃でした。
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【投稿者】nori 【コメント】コメント (4)
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):
1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。
2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。
2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。
2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。
現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
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