2011年11月14日

ICU(集中治療室)での壮絶な一夜(経緯12)

手術が終わってからICU(集中治療室)に移り、その夜はそのままICUで過ごしました。これがまたいろいろな意味で忘れられない経験となりました。

まず、自分自身の身体について。

まず辛かったのは、もちろん、手術直後の痛みです。手術で開頭した後頭部の傷口も痛いし、頭の中も痛い。

特に後頭部の傷口は、仰向けで寝ているため、そのまま枕に当たっています。さすがに傷口が痛みます。そのため頭を動かしたいのですが、自分ではあまり大きく動かせません。はじめのうちは看護師さんに身体の向きを変えてもらって、頭が枕に当たる位置を変えていました。でもそのうちに「自分で身体の向きを変えてもいいですよ」と言われて、自分で恐る恐る動かせるようになりました。そうやって頭の位置を常に微妙に変えて、痛くないところを探しながら寝ていました。

また傷口の痛みだけでなく、頭の中の痛みもあります。それらの痛みを耐えつつ、痛み止めの力を借りて時々うとうとするという感じで朝まで過ごしました。

でもこの夜、もっと激しい痛みがありました。点滴の痛みです。これが強烈でした。何の点滴だったか忘れてしまったのですが、ビックリするほど痛かったです。入院期間中で最大の痛みがこれでした。傷の痛みよりも頭の痛みよりも痛かった。。。

点滴が痛いというのは想像しにくいかもしれませんが、針を刺した腕のあたり(肘と手首の中間)の皮膚の内側が痛いんです。腕が破裂しそうな感じというか。これは患者さんみんなが痛がるらしく、看護師さんがホットパックを持ってきてくれて、痛いところに置いてくれました。これで大分我慢できるようになりました。点滴自体は30分から1時間程度で終わったと思います。この点滴は、一般病棟に戻ったこの翌日にも、もう一回打ちました。

また喉の渇きもありました。手術中に呼吸のために喉に管を入れていたせいもあり、非常に喉が渇きます。でも、麻酔のためにしばらくは水は飲んではいけないので、看護師さんにうがいをさせてもらいます。そのために、ペットボトルにストローキャップをつけたものを術前に用意して手術室に持ち込んでいました。ベッドを少し起こしてもらい、ストローをくわえさせてもらって、水を吸い、口をすすぎ、首を少し傾けて、パッドのようなものにだーっと出します。それで少し楽になりました。夜中に何度も看護師さんをナースコールで呼んで、うがいをさせてもらいました。「早く水が飲めるようになりたい」と心から思いました。翌朝には飲めるようになりました。

そして驚いたことに、この夜、歯磨きもしました。もちろん自分で。手術前日の夜から何も食べていないわけですので、あえて磨く必要もないように思いますが、自分のことはどんどん自分でやらせて回復を促すということではないかと思います。看護師さんに持ってきてもらった歯ブラシを持って、ペットボトルから口に水を含み、ゴシゴシやって、うがいの時と同じようにパッドに水を吐き出します。「手術直後なのに自分で歯が磨けた・・・」と思いました。そう思って自立を促す目的なんでしょうね。

この夜、痛みはありましたが、幸いにして術前に心配した吐き気のようなものはありませんでした。これは助かりました。

そしてこのICUでの夜が忘れられないのは、こうした自分の身体の状況だけが理由ではありません。ICUという環境がすごかったのです。

飛び交う医師や看護師さんの大声、ストレッチャーで運び込まれる患者さん、検査機器の電子音。初めて入ったICUは、想像以上に激しい環境で、まるで戦場でした。

特にこの夜、深夜に緊急オペがあり、その対応で非常に騒然としていました。患者さんはまだ小さな子供で、やはり脳の手術だったようです。ICU内では、以下のようなやり取りが大声で交わされていました。

先生「おい、家族には連絡取れたのか?」
看護師さん「はい、先ほどようやく携帯がつながって連絡が取れました」
先生「何時頃こっちに着くって?」
看護師さん「ちょうどいま到着されてオペ室の前で待っていただいています」
先生「じゃあ説明に行くぞ」
先生「○○君、分かる?手術終わったよ!分かったら目を開けて!」
○○君「・・・」
先生「○○君!目を開けて!」

この先生の声が非常に大きく、近くのベッドに横になっている僕はとても眠るどころではありませんでした(もちろん痛みで眠れないというのもありましたが)。手術が終わったばかりの子供さんに声をかけて目を覚まさせようとしているときだけでなく、常に大きな声で周囲に指示を出しています。

実際、隣のベッドのおじいさんは、「あの先生、うるさいんだよ!眠れないよ!」と看護師さんにクレームをつけてました。看護師さんは「すみません、緊急手術で・・・」と説明していましたが、その後先生の耳にも入ったらしく、先生の声が少し小さくなりました。僕も助かりました(笑)。

この夜は、入院中、自分にとって最も辛く大変な夜だったのですが、ICUの看護師さんたち、特にMさん、Nさん、Kさんには本当に助けていただきました。身体の自由が効かず、痛みに耐えていた僕を、本当に優しく助けてくださいました。あんな壮絶な環境で、死ぬか生きるかの患者を相手に、あの優しさと明るさと一所懸命さで接することができ、テキパキと仕事をこなすことができる看護師さんは、本当にすごいと思いました。心から感謝しています。

こうしてICUでの一夜は明けていきました。

そして翌日の午前中、ICUから一般病棟に戻ることになります。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う

2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。

2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。

2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。

現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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