脳腫瘍が見付かるまで(経緯1)

脳腫瘍の兆候は、実はもう2年半ほど前からありました。
その頃から、PC作業等で目を酷使すると、視野の左側の方がゆがむという症状が出るようになりました。その症状自体は発作的なもので、30分ほどすると治まります。発生する頻度は2〜3週間に一回程度だったでしょうか。気になったので、オフィス近くの目医者さんに行きました。その時の様子が当時のブログにもあります。


▼アシンメトリーなメガネ買った。(オーシャンブリッジ高山のブログ 2009年05月04日の記事)

ここ最近、何だか目が見えにくく、頭も痛かったりしたので、それを周りの女子(ヤティ、まゆりん、Yさん)に言ったら、「網膜剥離じゃない?」「それ早く病院行った方がいいですよ」「手術すると2週間うつぶせで寝たきりだって」「おー、コワ(ガリガリガリクソン風)」と、激しく脅された。

ホントに恐くなって、その日の昼に、宮益坂の目医者に行って、いろいろ検査してもらった。

結果、今使っているメガネ(数年前に作ったもの)の度が強く、遠くはよく見えるが、近く(PCとか本とか)を読むには強すぎて、目に負担が掛かり、目が疲れているのでは、とのこと。

若いうちは、度が強いメガネで近くを見ても、目の調整能力に頼って何とかなっていたが、年を取って調整能力が落ちてくると、目に負担が掛かって疲れ、いろいろな症状となって出てしまうらしい。だから、仕事用(つまり近くを見るとき用)の度の弱いメガネを作ってください、という結論に。

目医者さんでのひとまずの診断としては上記のようなものだったのですが、実はこれに加えて、「もし眼鏡を変えても症状が治まらなければ、脳を調べた方がいいかもしれません。大学病院を紹介しますから」とも言われていました。
でも、実際に眼鏡を変えてから、しばらくは症状が出ないような気もしていたので、とりあえずこれで解決と思っていました。結局、しばらくするとまた症状が出始めたのですが、まあやはり老化現象のようなものだからしょうがないだろうと、その目医者さんから処方してもらった、目の疲れを取る目薬を差していました。
でも今考えると、もうこの時点で僕の右後頭葉には、腫瘍ができていたと思われます。しかも視覚障害の自覚症状が出ていることから、それなりの大きさで。
うちの奧さんは、この時点で僕を大学病院に行かせなかったことを後悔しているようです。でも、僕としては、この時点で分かったとしても結果的にはあまり変わらなかったのではと思っています。2年半の間、自覚症状(視野の左側がゆがむ)の頻度(2〜3週間に一度)や強さなどがそれほど変わらなかったことから、その時点ですでに腫瘍は今回の術前の時点と同じくらいの大きさになっていたのかもしれません。そうであれば、その時点で分かったとしても今回同様に手術で摘出する必要があります。悪性度はその時点では多少低かったかも知れませんが、神経膠腫(グリオーマ)の場合、グレード2だったとしても放射線治療や抗がん剤治療が必要な場合があります(参考: 東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科 神経膠腫(グリオーマ:glioma)治療方針)。結局、その時点で分かっても、今年になって分かっても、治療内容はあまり変わらなかったと思われます。
実際に脳腫瘍が見付かったのは、今年の6月でした。ヨーロッパ出張でスペイン(バルセロナのZyncro社)スロベニア(首都リュブリャナのXLAB社)を周った後、帰国途中のチューリッヒの空港で、突然意識を失って倒れてしまいました。
その時僕はたまたま一人でした。ヨーロッパ出張自体は、オーシャンブリッジの他のメンバーと一緒だったのですが、スロベニア滞在中に、日本にいる奧さんから、娘が肺炎で入院したとの連絡があったため、急遽帰国便を一日繰り上げて僕だけ一人で先に帰国の途についたのです。後から考えると、これが非常にラッキーでした(この幸運についてはまた別途書きます)。
この帰国の前日には、スロベニアのXLAB社での仕事を終え、同社のメンバーとリュブリャナのレストランでパーティさながらに激しく飲んでいました。深夜にホテルに戻り、2時間ほど寝て、急いでタクシーに乗ってリュブリャナの空港に行きました。飛行機に乗り、乗り継ぎ地であるチューリッヒへ。そのチューリッヒの空港で、ベンチに座って飛行機を待ちながらiPhoneを触っていたときに、また例の視野がゆがむという症状が出ました。「あ、また来たな」と思った瞬間、いつもと違って、天地がひっくり返って世界がぐるぐると回るような感覚になり、そのまま意識を失ってしまいました。
気付いたときには、椅子から落ちて床に倒れ、心配した他の乗客の方々に周囲を囲まれていました。意識が戻った僕は、眼鏡がないことに気付いて焦り、「眼鏡は?My glasses?」と声に出すと、誰かが手渡してくれました。
後から考えると、どうもこの時、全身がけいれんしていたようです。その後しばらく、体中のあちこちが痛かったですし。入院後に先生や看護師さんから注意さたことですが、深酒をしたり、寝不足だったりすると、けいれんが起きやすくなるとのこと。まさにその条件に当てはまっていました。
倒れている僕が日本人だったため、日本語がしゃべれる人がいたほうがいいと考えたどなたかが、周囲を探して日本人の方を連れてきてくださいました。Fさんという大学の先生でした。
すぐに車いすも到着しました。「車いすに乗れと言っていますよ。私も行きますから、一緒に行きましょう」とFさんが言って下さり、救急センターに運び込まれました。僕のカバンはFさんが持ってくださいました。
救急センターではベッドに寝かされ、血液検査などをしましたが、特に問題はなし(脳腫瘍なので当然ですね)。それでも、しっかり検査をしてから帰国した方がいいと医師から言われたのですが、「娘が入院しているので、何としても予定していた便で帰国しないと」と言い張って、無理矢理帰国させてもらうことになりました。その医師はさすがに困っていましたが、最後には「そこまで言うならしょうがない、飛行機に乗ったらこの薬を飲んで、眠って行きなさい」と言ってくれました。
その後救急センターの会計を済ませ、搭乗ゲートへ。それまでずっと付き添ってくださっていたFさんも、僕と同じ便で帰国するということで、一緒にゲート方面に向かいました。その時に気付いたんですが、Fさんは実は奥さまと一緒に帰国されるところでした。奥さまがいるのに、倒れた僕の面倒を見るのを優先して一人付き添ってくださったのです。本当に感謝の言葉も見付かりませんでした。
飛行機に乗り、医師の言うとおりすぐに薬を飲んで、成田に着くまでほとんど寝て過ごしました。寝不足でもありましたので。
成田で飛行機を降り、またFさん夫妻にお礼の言葉をお伝えして、空港を後にしました。そのまま成田エクスプレスで横浜に行き、タクシーで娘の入院している病院に向かいました。その頃には娘はだいぶ回復していて、安心しました。
そしてその翌日、横浜市内の脳神経外科の病院に行き、検査をしてもらいました。検査の後、CTMRIの画像を見た先生から言われました。「腫瘍がありますね」
さすがに驚きました。
そしてこの日は、オーシャンブリッジの10周年の設立記念日でした。

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「脳腫瘍が見付かるまで(経緯1)」への2件のフィードバック

  1. 何と言うか、劇的な人生ですね。
    私も相当ですが、高山さんにはかなわないといつも思います。
    苦しい意味だけでなく、幸せな意味でも。
    横浜市内の脳神経外科の病院も、どこだか気になります。

  2. ありがとうございます。
    横浜の脳神経外科の病院ですが、こちらでした。
    横浜新都市脳神経外科病院
    http://www.yokohama-shintoshi.jp
    とにかくなんとか帰国した翌日にできるだけ早く検査して欲しかったので、ネットで調べて、家から一番近い脳神経外科の専門病院ということで選びました。2回目の診察のときに、治療は女子医大で受けたいと伝え、紹介状を書いてもらいました。

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