株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2018年03月27日
産経デジタルのオピニオンサイト「iRonna」に、「人生100年時代」やLIFE SHIFT(ライフ・シフト) に関する僕の意見が掲載されています。
この記事の2ページ目に出てくる「先日、長年のがん闘病で、わが子のように大事に思っていた会社をやむなく売却したという40代の男性にインタビューした」の「40代の男性」が僕です。
僕の発言箇所を引用します。
創業者でもある彼は、誰よりも仕事を愛した。会社を手放したくないという思いは人一倍強かったはずだ。それでも、長期にわたるがん闘病で体力は衰え、フルタイムでの仕事復帰はかなわなかった。「僕の場合、強制的に定年になったようなもの」という発言には、言葉にならない悔しさが滲んでいた。3度目のがん闘病では、骨髄移植の治療で死の淵(ふち)をさまよった。
厳しい治療から「生還」したタイミングで「人生100年時代」のブームが来たという。かつての仕事仲間の薦めもあり、彼もこの本を手に取った。率直な感想として、「100年後のことを考えろといっても無理です。再発する可能性だってある。発熱とか、胃腸の調子が悪いとか、毎日戦いながら、1日1日乗り越えていくのに精いっぱいです」。世の中が急速に「人生100年時代」に舵を切っていることに、一抹の不安を感じていた。
この記事は、先日Yahoo!ニュースに掲載されたインタビュー記事を書いてくださったフリーライターの古川雅子さんの寄稿記事です。Yahoo!ニュースの取材の際に、「人生100年時代」やLIFE SHIFT(ライフ・シフト) が話題になって僕がお話ししたことを、古川さんが寄稿記事に取り上げてくださいました。
僕自身はがん患者として、「人生100年時代」という言葉にはいろいろな意味で違和感を感じています。その違和感はまだ自分の中できちんとまとまっていないのですが、まとまりのないままお話ししたことを、古川さんがしっかりまとめて記事にしてくださいました。
詳しくは記事本文をご覧ください。
この「人生100年時代」や「ライフ・シフト」というテーマについては、もう少しいろいろと考えてみたいと思っていますが、いまの時点でなんとなく思うのは次のようなことです。
まずがん患者の立場で考えてみると、いつも目の前の一日を生きるので精一杯というのが本音です。体調の大波小波をやり過ごし、消えることのない痛みを麻薬で抑え、再発の恐怖を常に心のどこかに抱きながら、精一杯の一日一日を積み重ねています。
その積み重ねの先に、やっと、再発の可能性が下がる一年後、三年後、五年後といったマイルストーンが見えてきます。そして僕の場合は、そのさらに先に、人生の目標である十二年後の娘の二十歳の誕生日が少しずつ見えてきます。
そんな状態で、突然「100歳までの生き方を考えなさい」と言われても、「そんなことより、今日を生きること、十二年後まで再発せずに生きていくことで精一杯です」というのが正直なところです。次の生き方を考えるよりも命の心配のほうが先です。ライフ・シフト的考え方では「そういう考え方がまずいんだ」ということになるのかもしれませんが。
また、元経営者、元ビジネスパーソンの立場で考えると、突然の病気により、継続的な就労が困難になり、最終的には会社と仕事を手放さざるを得なくなりました。「人生100年時代」のために何かを準備する余裕などありませんでした。それは、突然に、そして強制的に、「ライフ・シフト」が起きてしまったようなものです。
会社を売却したことにより、自分としては完全にビジネスの世界から身を引くつもりでした。でも、新しい経営陣から、「創業者として今後も相談にのって欲しい」とファウンダー職のオファーをいただき、再びビジネスの分野で世の中に貢献する道を残していただいたのは、本当にありがたいことでした。昔のようにフルタイムで勤務することは困難ですが、相談相手としてならお役に立てるかもしれません。
僕の場合、3度目のがんである昨年の急性骨髄性白血病のさい帯血移植治療の直前に、会社を売却できたこと(そしてファウンダーとして引き続き会社に居場所を残していただいたこと)は、この先の人生を考えると非常に大きな意味を持ちます。
でも、「人生100年時代」の準備のために会社を売却したわけではありません。病気により経営者の重責を担い続けるのが難しくなったために決断したことです。ファウンダー職も新経営陣の強い要望からお受けしたものです。
そして今は、会社を手放して手に入った時間で、家族との時間を第一にしつつ、ブログや本(治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ)を通じて、自分の闘病体験から学んだことを発信しています。多くのがん患者さん、特に脳腫瘍や白血病、悪性リンパ腫の患者さんやそのご家族が、このブログや本を読んでくださっているようで、ビジネスとは違う分野で世の中に貢献できているのかなと思っています。
こうして考えてみると、結局人間は、いろいろ言っても、自分の目の前のものごとに全力で取り組んで対処していくことしかできず、そこから得たことや学んだことが、あくまでも結果として、その先の人生につながっていく、という生き方しかできないのではないかと考えています。僕の場合は、闘病もビジネスもそうです。
そこで大切なのは、いまの自分の目の前にある課題や困難から目を背けずに、全てを受け入れた上で、真正面から取り組んで、全力で乗り越えて結果を出すこと、そしてその経験からきちんと学ぶことではないかと思います。
あらかじめ先々のことを考えて新しいことを準備するというのは、目の前の一日を生きるだけで精一杯のがん患者だけでなく、多くの一般の方にとっても難しいのではないかと思います。でも、目の前のことに一所懸命に取り組んで、そこから学んだことは、必ず次に繋がっていくのではないか。希望も込めてそう考えています。
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【投稿者】nori 【コメント】コメント (0)
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):
1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。
2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。
2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。
2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。
現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
※病気や治療に関するご相談はメールでもSNSでも一切お受けしておりません。仮に質問などをお送りいただいてもご返事できかねます。私もあくまで一患者であり医療関係者ではありませんのでその点ご理解ください。
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