2014年08月08日

シャワーで意識を失い、倒れて額を割る:白血病・悪性リンパ腫闘病記(39)

前回の闘病記からの続きです。

◼︎2013年6月28日(金)。入院47日目。抗がん剤治療開始から39日目。

この日の午後、病棟を驚かすちょっとした事件を起こしてしまいました。

シャワーで転倒して額を割る

朝は、前日までと同様、担当医のMY先生と、治療方針に関する相談をしました。この日もMY先生は嫌な顔一つせず、僕の話に付き合ってくださいました。

高山さんの場合は、腫瘍が明らかに骨に浸潤しているので、それが化学療法のみでやっつけきれるかが難しいところです。治療後、将来的に腫瘍が動き始めたときも分かりにくいです。その意味では再発が怖いところです。化学療法後、放射線治療をやるケースもありますが、放射線の照射範囲外から再発してしまうこともあります。結局、悪性リンパ腫は全身疾患ですから。

その点でも、治癒できる可能性がより高いのは、移植だと考えています。B-LBL(B細胞性リンパ芽球性リンパ腫)は結局ALL(急性リンパ性白血病)ですから。

ただ、一般的に2〜3割と言われるの移植関連死のリスクもあります。メリット、デメリットの判断が難しいです。

移植をやるのであれば、いつやるべきなのか、明確な指針はありません。でも状態がいいときにやらないと効果がありません。例えば化学療法が終わってしばらく時間が経ってから再発したようなケースだと、化学療法で第2寛解(CR2)を得られて、移植に持ち込めると思われますが、化学療法が終わってすぐに再発したしたようなケースだと、なかなか寛解を得るのが難しくなります。そうすると移植も難しくなります。

CR1あるいはCR2で移植をやるなら、現在行っている化学療法、Hyper-CVAD/MA療法は途中で切り上げる場合もあります。

今回の治療がどれくらい効いたか、今度のMRIで判断します。その薬の効き具合も、今後の治療方針の判断材料となります。

この日の話でも、やはり移植治療を中心とした話になりました。

僕の方から、最後に一つ質問をしました。

海外の論文を見ると、「全生存率(Overall Survival / OS)」等の治療成績のデータが3年間でのデータとなっているケースが多いようですが、一般にがんで言われる5年の生存率でないのはどうしてですか?

MY先生の答えはこうでした。

悪性リンパ腫はだいたい1年以内での再発が最も多く、3年病気が落ち着いていれば、ほぼ治ったと言えるのです。特に高山さんのB-LBL(B細胞性リンパ芽球性リンパ腫)や、バーキットリンパ腫のような進行の早いものの場合はそうですね。

このお話には、なるほど、と思いました。僕の場合も、何もないところから、2〜3ヶ月という短期間で、大きな腫瘍ができてしまいました。非常に進行が早かったのですが、その分、再発する場合も時期が早いということです。逆に言えば、何とか3年再発を防げれば、根治を目指せるということになります。

その後、主治医のGY先生もいらっしゃいました。GY先生は、

来週あたり、移植を含めた治療の方向性についてご家族含めて相談しましょう。海外では抗がん剤のみで治すこともありますが、なかなか、患者さんそれぞれの状態が違って、一概にこれという治療法はないのが現状です。

その中で、移植も選択肢の一つです。骨髄バンクへの登録等の手続き面含め、来週、ご家族と相談しましょう。

とのことでした。やはり移植を覚悟すべきか、とこの時も考えました。

その日の午後。

抗がん剤治療の2コース目もひと段落し、前日に首から中心静脈(CV)カテーテルも抜けたので、久しぶりにシャワーを浴びました。

一月半を超える入院生活と抗がん剤治療の副作用で体力も血球数も落ちていたため、浴室内でも椅子に座りながら身体を洗い、シャワーを浴びました。

そして、シャワーから上がり、脱衣所で着替えている時に、突然気分が悪くなり、「これはやばい」と慌てて脱衣所にあった椅子に座り、両肘を膝に置いて前傾姿勢で休んでいるうちに、意識が遠のいて、気づいたら履き物置き場に頭から倒れこんでいました。頭をドアにぶつけたらしく、額から流血し、床やTシャツに血が飛び散っていました。

急いでバスタオルで流血した頭を抑えつつ、フラフラしながらも浴室に戻って何とかナースコールを押しました。また脱衣所の椅子に戻って座って待っていたら、すぐに看護師さんや若い先生たちがびっくりして飛んで来てくれました。

若い先生に担ぎ上げられてストレッチャー(車輪のついた移動用ベッド)に乗せられ、病室に運ばれました。生理食塩水の点滴や血圧測定などをしつつ、ガーゼで止血してもらいました。そのうち担当医のMY先生も来てくれ、患部を確認し、「後で縫ってもらいますから」とのこと。

意識はナースコールを押した段階で、すでにしっかりしていたので、その後も大丈夫でした。MY先生からは「手足で力が入らないところはないですか?」と聞かれましたが、それも大丈夫でした。

しばらくベッドで休んだ後、頭部のCT検査に呼ばれました。安全のため、またストレッチャーに乗せられて一階の検査室へ。終わってからまたストレッチャーで病室に戻り、しばらくすると、担当医のMY先生、その後主治医のGY先生も来てくれ、頭のCTは問題なかったと教えてくれました。かなり激しく打った感じがしたのと、2011年の脳腫瘍の手術のことがあったので、心配しましたが、CTの結果を聞いて安心しました。

その後、車椅子で形成外科に行き、傷口を縫合してもらいました。眼鏡の女医さんでした。傷は額の左上に、5センチほどの長さにわたっていました。先生は、思ったより時間をかけて丁寧に縫ってくださいました。傷は長さだけでなく深さもあったようで、まず内側の皮膚を縫合し、その後外側の皮膚を縫合してくださったとのこと。一時間もかかったでしょうか。

先生は「13階の患者さんなので出血を抑えたいんですよね」と言っていました。13階の無菌病棟の患者は、白血病や悪性リンパ腫の抗がん剤治療等で血球数が下がります。特に血小板も減っていると血が止まりにくくなります。僕もこの日、まさに血小板の輸血がもともと予定されていました。

次は、月曜日に抜糸のために来てください、それまではガーゼはこのままで、とのこと。その状態が、冒頭の写真です。患部が盛り上がっているように見えるのは、腫れているわけではなく、止血のためにたくさんのガーゼで圧迫しているためです。

この日も、以前から大変な時には必ずお世話になっている看護師のMさんがいろいろ助けてくれました。

Mさんからは、

今日は基本的に歩き回らずにベッドで生活してくださいね。トイレに行く時は必ずナースを呼んで車椅子で行ってください。

と言われました。僕はMさんに、

入院初期の激しい腹痛の時も、抗がん剤の副作用での便秘になった時の浣腸の時も、いつも僕が大変な時にはMさんにお世話になってますよね。ありがとうございます。

と言ったら、

いえいえそんな、仕事ですから。

とサラッと言っていました。本当にありがたいと思いました。

その後、当初からの予定通り血小板を輸血。オレンジ色です。

血小板の輸血

そして、担当医のMY先生から携帯に連絡が入った家内が、仕事を切り上げて涙目で飛んで来ました。患部は痛々しいですが、意識はちゃんとしていたので安心したようでした。

しかし、前回2011年の脳腫瘍手術での入院に続き、まさか今回の入院でも、頭を縫うことになるとは思いませんでした。血小板も下がっているので、浴室で転倒して出血するようなことがないように、と気をつけていたつもりだったのですが、まさか脱衣所で意識を失うとは思いませんでした。これからもシャワーを浴びる時はより一層気をつけよう、と思いました。

でも、形成外科の先生が非常に丁寧に縫合してくだっさったため、今ではほとんど傷跡は目立ちません。でも当時はスキンヘッドで額に傷、でしたから、なにか違う職業の人に見えたかもしれません(笑)。

その後MY先生がまた来てくださって、家内に直接、考えられる理由や今後の対応などを説明してくれました。CTは今のところ問題ないが、今後も脳内で出血等ないか、CTで見ていくとのこと。

この夜は、家内に買って来てもらったカレーを食べた後、熱も出てきて、傷口も少し痛んだので、解熱鎮痛剤のカロナールを飲んで寝ました。

大変な一日でした。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う

2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。

2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。

2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。

現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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