2018年12月06日

20回目の結婚記念日と「ママとパパのけっこんストーリー」

昨日は、20回目の結婚記念日でした。

18歳で出会い、27歳(妻28歳)でに結婚して、いつの間にか20年が経ちました。

結婚20周年の会、娘の手作りの夕飯

この20年の間、いろいろなことがありました。

結婚の数年前にさかのぼって振り返ってみます。

妻とは大学に入学してすぐに出会いました。大学を卒業し、僕は外資系コンサルティング会社(アクセンチュア。当時はアンダーセンコンサルティング)に就職。2年目から海外勤務(アムステルダム)を1年ほど経験。その間は遠距離恋愛ですね。

帰国後にプロポーズし、27歳で結婚。

その後、ベンチャーに転職。そこで自分で立ち上げた事業を、MBOで事業買収して、2001年にオーシャンブリッジを起業。30歳のときです。

そのちょうど10年後、10回目の設立記念日である2011年6月13日に、1回目のがんである脳腫瘍が見つかります。

外科手術、化学療法(抗がん剤治療)、放射線治療を経て退院。このときは数ヶ月後に会社に復帰。

すると2年後の2013年には、2回目のがんである悪性リンパ腫(急性リンパ性白血病)が見つかります。

半年以上にわたる入院中に、社長を後進に譲り、会長に退きました。

退院後、会社復帰を目指すも、体力にもう難しいという現実に直面し、悩み抜いた末に復帰を断念。

そして会社を手放すことを決断し、2017年1月に、M&Aによりオーシャンブリッジを売却します。現在は同社のファウンダーというポジションで、経営チームに対するアドバイザーの役割を仰せつかっています。

しかしまた病魔が襲ってきます。M&A契約締結から3週間後に、急性骨髄性白血病が見つかります。これでやっと会社から自由になり、自分と家族を最優先して生きていこうとしていた矢先のことでした。

再入院を含めてほぼ8ヶ月ほどの入院生活で、さい帯血移植を受けました。これまでで最も過酷な入院生活で、何度か生死の境をさまよいました。

その後、少しずつ、少しずつ回復し、移植から1年7ヶ月経ちました。今も感染症や帯状疱疹後神経痛、慢性GVHDなどに悩まされながらも、元気に普通の暮らしを送っています。

このように、仕事の面でもプライベートの面でも、本当にいろいろなことがあったこの20年。妻には大変な心配と苦労をかけました。

その妻も、この20年でいろいろなことがありました。

結婚から数年後、新卒以来10年間勤めた銀行を辞めて、臨床心理学の道を志して大学に戻ります。そして大学院に進学し、2017年には博士号を取得しました。

今は臨床心理士として、教育機関などで働きながら、研究も続けています。

妻も、自分で自分の道を切り開いてきました。

そしてどんなときでも、僕を応援し、支えてくれました。ときには僕の病室で博士論文を書いていたこともありました。妻には、僕には見えていないたくさんの苦労があったはずです。

そんな僕たちに子どもが生まれたのは2010年のこと。予定日よりも1ヶ月半も早く生まれてきたのは、1605グラムの小さな小さな女の子でした。

その小さかった娘も、もう8歳。

昨日の結婚記念日には、「結婚20周年の会」と銘打って、娘が僕たち二人をお祝いしてくれました。事前の準備から当日の運営まで、一人で大活躍してくれました。

会のプログラムを作って配り、夕飯を作ってテーブルに並べ、料理を取り分けてくれ、プログラムに沿って司会進行をし、自分で作ったサプライズのプレゼントをくれ、そして締めのあいさつまで。

特にプレゼントについては、僕たちにバレないように作成して隠しておくために、どうやって親に気付かれないようにノートを買えばいいか、どこに隠しておくのがいいかなどを、学校の友達だけでなく、なんと担任の先生にも相談していたとのこと。

僕も妻も、そんなプレゼントがあるとは、全く気が付きませんでした。そのサプライズのプレゼントを、会の途中で隠し場所から出してきて、僕と妻に贈ってくれました。

そのプレゼントは、娘が書いた小さな絵本でした。タイトルは、「ママとパパのけっこん物語」。そこには、僕と妻の出会いから結婚、そして娘が生まれて今に至るまでの高山家のストーリーが書いてありました。

結婚20周年の会のプレゼント、「ママとパパのけっこん物語」の表紙\

そういえば最近、折に触れて、僕たちがいつどうやって出会ったのか、プロポーズはどこでどんな言葉だったのかなどを娘から聞かれていました。聞かれたときは、「女の子も3年生になると、いろいろと親の若いころのことにも興味が出てくるんだな」くらいに思っていました。

でも、その絵本には、僕らが話した内容が全て書いてありました。

この絵本のページをめくっていくと、「あ、あのとき聞かれたのは、このためだったのか!」と腑に落ちることがたくさんありました。

結婚20周年の会のプレゼント、「ママとパパのけっこん物語」、結婚式のページ

この絵本は小さなノートに書かれていました。そういえば先日、なぜか珍しく娘が一人で近所に買い物に出かけたときがありました。そのときは「あれ?一人で行くなんて珍しい」と思ったのですが、どうやらそのときにノートを買ってきたようです。

いろいろな意味でサプライズに満ちたプレゼントでした。

僕はこの本を読んで、「子どもってすごい」、としみじみと感じ入ってしまいました。

結婚してからいろいろなことがありました。

いいことも悪いことも。

でも、いいことも悪いことも、その全てがあったから、今があります。

起業していなかったら今の自分がないのと同じように、病気をしていなかったら今の自分はありません。

妻と出会っていなかったら、娘がいなかったら、今の自分はありません。

そして、今が人生で一番幸せです。

だから、僕のこれまでの人生の中で起こったことは、いいことも悪いことも、全てが今のこの幸せにつながっているのだと思います。

僕が幸せな人生を送るために、こうした経験の全てが必要だったのだと思います。

そのことを改めて実感した結婚20周年の会でした。

娘と妻には心から感謝しています。二人ともありがとう。

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プロフィール

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校→早稲田大学 政経学部→アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ→Web関連ベンチャー→(株)オーシャンブリッジ設立・代表取締役社長就任→現在、同社ファウンダー。横浜市綱島在住。趣味はおりがみ。2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術を受けて成功、ただ視野の左下1/4を失う。2013年5月からは7ヶ月間入院して悪性リンパ腫・急性リンパ性白血病の抗がん剤治療を受ける。帯状疱疹後神経痛も発症。2016年10月に2つのがんから卒業(それぞれ5年、3年経過)。しかし2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、さい帯血移植治療を受ける。現在は元気に暮らしている。

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メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※最近、メールやFacebook等で個別にご連絡やご相談をいただくことが以前よりも増えております。私の時間と体調の許す限りはご返事差し上げていますが、全てのご連絡にご返事できるとは限りませんことをご了承ください。

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