2011年10月19日

女子医大の病室ではiPhoneやPCを使っても良い?(経緯8)

眠れない夜が明けた入院二日目は、検査等の予定が何もありませんでした。前日の入院初日にひと通りの検査を終わらせたことや、もともと予定されていた採血の予定が延期になったこともあり、完全にフリーになりました。

それまでであれば、「時間があれば本が読める」と喜ぶところなのですが、この頃は、少し目を使うとすぐに視野の左側がゆがむ症状が出てしまうため、読書やiPhone操作も制限せざるを得ません。そんなことをTwitterやFacebookで書いたら、みなさんからオーディオブックなどを勧められたので、いくつかaudible.comやiTunes Store等で買ってみたりしました。

ちなみに病室での携帯やiPhoneの利用は、通話さえしなければ大丈夫でした。通話については、各フロアで指定された場所(僕の病棟の場合は、階段のホールか、一階の公衆電話の近く)でのみ可能でした。

病棟内の張り紙や入院案内のパンフレットでは、「病室では携帯を使わないように」と書いてあったのですが、それは通話のことを指すようです。それでも最初は恐る恐るiPhoneをいじっていたんですが、そのうち僕がiPhoneを触っているのを看護師さんや先生が見ても、特に注意されないため、徐々に堂々と使うようになりました。

実際、他の患者のみなさんも、ベッドの上でメールを打ったり、ベッド脇のコンセントで携帯を充電したりしていました。僕もiPhoneやiPad、PC、Pocket WiFiなど、充電の必要なガジェットをたくさん持ち込んでいたので、口の多い電源タップをナースステーションからお借りしたほどです(笑)。

PCの利用についても、ちょっと微妙でした。「病室への電化製品の持ち込みはダメ」というルールになっていたためです。でも、これもあるとき看護師さんとの会話の中で「どこそこの患者さんはパソコンでDVDを見て時間をつぶしていて」みたいな話があったため、事実上は容認ということと理解し、自分も堂々と使うようになりました。

特に僕の場合、術後の視覚障害の独自リハビリは、PCのExcelを中心に行うことにしたため、その時にはPCの画面を先生や看護師さんに見せながら、自分の取り組みを説明するという場面もありました。もちろん問題ありませんでした。

さて入院二日目のこの日は、検査等の予定はなにもなくなったのですが、この日からしばらく、実習中の看護学生のIさんが僕についてくれることになりました。最初は患者の話を聞くというのが実習の課題だったようで、午前中病室に来て、僕が脳腫瘍が見つかった経緯や、入院前に出張で行っていたヨーロッパのこと、僕が生まれた長野のこと、住んでいる綱島のことなどをお話ししました。Iさんは看護師になるために一所懸命勉強中の学生さんという感じで、自分にとってはおしゃべりがいい時間つぶしになりましたし、少しでも看護教育のお役に立てればいいなあと思っていました。

この日はその後、伊那北高校時代の友人AM君が、出張のついでに顔を出してくれました。長野県伊那市高遠のお寺、龍勝寺の住職である彼は、わざわざ僕の名前を入れた病気平癒のお札を持ってきてくれました。「このお札は効き目バッチリだから、手術も大丈夫!」と言って。本当にありがたかったです。自分を助けてくれたこの御札には、退院した今でも、毎日手を合わせています。

その後、お見舞いに来てくれた従兄夫妻と院内のレストランでお茶したりしているうちに、あっというまに夕飯の時間である18時に。

夕食後は、19時から予約してあったシャワーを浴びました。浴室はこのフロアーに一つしかないので、朝、ナースステーションに行って、希望する時間を予約ボードに記入して予約します。朝6時から予約受付開始なんですが、早く行かないと希望の時間帯は取れません。

一回の入浴時間は30分。初めてシャワーを浴びたこの日は、のんびり浴びていたら浴室を出たところですでに25分経過。急いで服を着て脱衣所を出ました。ギリギリだったので、以後、急いで浴びることになります。その後外泊で家に帰れるようになってから、時間を気にせずシャワーを浴びたりお風呂に入ったりできるのはいいなあと実感したものです。

シャワーを浴びた後は暑かったので、ポカリスエットでも飲もうと思い、一階に降りて病棟外の自動販売機で購入。しかし、19時半以降は出入り口が閉まってしまい外からは入れないことが判明。見事に締め出されてしまいました。やばい、と思っていたら、たまたま病棟に入る先生がいたので、その後について無事入ることができました。ポカリは昼間のうちに買って名前を書いて病棟の冷蔵庫に入れておこうと決めました。

その後病室にいたら、見知らぬ先生が顔を出されました。消化器外科のSK先生とのこと。なぜ僕のところに?と思ったら、なんとオーシャンブリッジの顧問税理士事務所の社長のYKさんと親友同士とのこと。YKさんはたまたま僕と同じ長野県伊那市の出身なのですが、こちらのSK先生は、そのYKさんと幼稚園時代からの親友とのこと。

僕を女子医大に紹介してくれたT君は、僕の幼稚園時代からの友人です。彼のお兄さんは、この女子医大で放射線科の医師をしていて、僕が術後お世話になるKM先生です。もちろん、SK先生は同郷であるKM先生のこともご存じです。

女子医大に同郷の先生が2人もいること、しかも一人は幼なじみのお兄さん、一人は仕事で大変お世話になっている方の親友であることに、非常に驚くとともに、非常に安心しました。まさか自分が病気になったときに、このような伊那ネットワークに助けられることになろうとは、思いもよりませんでした。

この夜、奥さんに電話をして、Tシャツと短パンを持ってきてもらうようにお願いしました。入院する際、いわゆるパジャマを買って持ってきていたのですが、それを着て病棟内を歩いているとあまりにも病人っぽいので、普段家で着ていた短パンとTシャツで過ごすことにしました。あまり病人の色に染まらないようにしよう、早く元気になって退院しようという思いがありました。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う

2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。

2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。

2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。

現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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