株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2018年04月16日
先日の4月14日(土)に、さい帯血移植からちょうど一年が経過しました。
あの移植の日からもう一年か、と感慨深いです。
▼無事に臍帯血移植が終わりました(臍帯血移植 day-0)|オーシャンブリッジ高山のブログ
移植してからしばらくは免疫反応や合併症で本当にいろいろな症状が出て大変でしたが、なんとか乗り越えて、退院し、ここまで来ることができました。
虎の門病院の担当医の湯淺先生からは、「この病気は移植してから一年あるいは一年半以内での再発が多い」と言われていました。
まずは最初のマイルストーンの一年を越えたことになります。
そして次のマイルストーンほ、移植後一年半となる10月14日です。ここを乗り越えれば、かなり再発のリスクは減ります。
移植治療の現場では、移植日のことを「第二の誕生日」ということがあります。僕の場合、この第二の誕生日は、娘の誕生日とちょうど1ヶ月違いです。
また生着日については、ちょうど自分の誕生日と同じ5月6日です。ともによい巡り合わせです。
今回の第二の誕生日を、家族がケーキとプレゼントでお祝いしてくれました。
ケーキは冒頭写真のパティスリーヴェルプレさんのケーキ。いつもお世話になっています。
プレゼントはこちらのLAUNDRYのTシャツと半袖シャツのセット。
このTシャツは娘とお揃いなのです。
次の半年、このシャツを着て、無理をせずに少しずつ体調や体力を回復していきます。
そして再発せずに、10月に来る移植後一年半のマイルストーンも無事に乗り越えます。
★闘病記ブログランキングに参加しています。上の病名ボタンをクリックしてくださると、ランキングが上昇し、より多くのがん患者さんに僕の闘病記が届きます。よろしければクリックしてくださるとうれしく思います。4回のがんをがんを乗り越えた経験が、一人でも多くの患者さんに届きますように…
【投稿者】nori 【コメント】コメント (0)
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):
1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。
2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。
2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。
2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。
現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
※病気や治療に関するご相談はメールでもSNSでも一切お受けしておりません。仮に質問などをお送りいただいてもご返事できかねます。私もあくまで一患者であり医療関係者ではありませんのでその点ご理解ください。
※過去の記事も上記リンクからご覧いただけます。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 |