株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山 知朗 (たかやま のりあき)
2019年06月27日
ここのところ、以前より少し体重が増え、少し体力もついてきたような気がしています。体重はようやく52キロを超えるほどになりました。
そうした状況がSNSやブログなどでも伝わるのか、友人からお茶や食事などに声をかけていただく機会が増えています。
特に、入院のためにお約束をキャンセルしてしまっていた方、闘病中にお世話になった方など、こちらが不義理をしてしまっていたようなお相手から、ありがたいことにお声をかけていただくこともあります。
そうした場合は喜んで電車に乗って出かけたり、綱島(=カフェ カルディ)にご足労いただいてお会いしたりしています。
先日、起業家、そして外資系コンサルティング会社つながりの谷本さんと久しぶりにお会いしてきました。
谷本さんは先輩起業家です。僕が2001年にオーシャンブリッジを起業したときには、すでに自分の会社を軌道に乗せていて、大企業向けナレッジマネジメントソリューションを事業展開していました。
僕もオーシャンブリッジで同じ市場をターゲットにビジネスを展開していたことから、谷本さんと知り合う機会があり、公私に渡ってのお付き合いが始まりました。
僕にとっては、同じ外資系戦略コンサルタント出身で、シリコンバレーでの経験もあり、当時のIT系ベンチャー界隈でのネットワークも広く、そして同じ大企業向けシステム市場での経験も豊富な谷本さんは、いろいろと学ぶべきところの多い、大変尊敬すべき先輩でした。今でもそれは変わりません。
前回お会いしたのはいつだったでしょう、と2人で振り返ったところ、約4年ぶりでした。そのときは綱島のカフェカルディまで来てくださって、谷本さんのデナリ(マッキンリー/植村直己さんが消息を絶った北米最高峰の山)登頂のお話をお聞きしたのを鮮明に覚えています。谷本さんが山頂付近で撮った星空の写真が、もはや空というよりも宇宙だったのです。
そして登山と経営は同じだ、というような話を聞きました。リーダシップ、リソース配分、コミュニケーション、駆け引きなどなど、聞けば聞くほど確かに共通点は多い。大変興味深く示唆に富む話でした。
そんな先輩である谷本さんから声をかけていただいたら、出かけて行かないわけはありません。
ということで、谷本さんが共同オーナーを務める恵比寿のイタリアン、ポルトベッロでお会いしてきました。
本当にいろいろな話をしました。家族の話、子供の話、ビジネスの話、サッカーの話、などなど。何時間も語り合いました。料理もおいしく、ワインも進みます。あんなにワインを飲んだのはいつ以来だろう。。。
話は広がり、深まっていきます。
そして谷本さんに言われたのです。
今日、僕が高山さんに会って言いたかったのは2つです。
まず1つ目。高山さんは病気になってから「娘が二十歳になるまでは絶対に死なない」と言ってきたけど、実際に娘さんが二十歳になったらどうするんですか? もうそれでこの世とお別れしてもいいというつもりじゃないでしょうね?
僕はすぐにお答えしました。
というのも、その質問には、すでに明確な答えがあるのです。
以前、確か3回目のがんである急性骨髄性白血病になる前だと思うのですが、娘に「パパは◯◯が二十歳になるまでは死なないから」と言ったところ、こう言われたのです。
「パパ、それじゃ足りないよ。わたしじゃなくて、わたしの子どもが二十歳になるまでは死んじゃダメだからね」
この娘の言葉を谷本さんに伝えました。
谷本さんは大変驚いたようでした。
「すごい!そんなこと言う小学生って、すごいね!」
と何度も言ってもらいました。
僕は追加しました。
「その娘の言葉を聞いて、僕は自分のライフプランを85歳までに引き伸ばしました。そのころには孫が二十歳になっているはずです。85歳にはまで生きないといけない理由ができました」
谷本さんはこう言いました。
「今日は、『娘が二十歳になるまでは死なない』の先を聞きたかったんです。それが聞けて本当に良かった」
さらに谷本さんは続けます。
「もう1つ、高山さんに言いたかったことがあります。
それは、僕は高山さんの『生き様』にいつも元気をもらっているということ。
僕は高山さんはアーティストのようなものだと思っています。自分もピアノをやっていて思うんですが、本当に上手なピアニストは、技術がすごいだけではありません。鍵盤を叩いた音の1つ1つに、その人の『生き様』が表れるんです。
高山さんの情報発信は、それと同じです。全てに高山さんの『生き様』が表れていて、それに僕は影響を受けています。いつも勇気をもらっています。
そしてこんなことも言ってくれました。
その意味で、僕にとって高山さんはチコちゃんみたいなもの。『ボーっと生きてんじゃねーよ!』と言われている気がして、自分を省みるんです」
まさかのチコちゃん認定、うれしかったです。笑
こんなに自分のことを気にかけてくれる先輩がいて、僕は本当に幸せです。本当にいい友人に恵まれています。
みなさんからの期待を胸に、人生85歳までは最低でも生き抜いていくつもりです。
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【投稿者】nori 【コメント】コメント (0)
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ(幻冬舎 税込1,188円)
脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。
高山知朗(のりあき):
1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。
2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。
2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。
2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。
2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。
2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。
現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。
メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)
※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。
※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。
※過去の記事も上記リンクからご覧いただけます。
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