コロナウイルスとがん闘病で当たり前の日常に隠れた幸せに気づく

コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言で、ステイホームが求められるようになりました。
母の日の花
(母の日のプレゼントのカーネーション)


娘の学校は休校になり、妻の仕事はリモートワークになりました。
そして毎日、朝から晩まで家族3人で一緒に家にいることになりました。
そんな生活の中で、過去の入院中のことをいくつか思い出しました。

家族3人で暮らすことの幸せ

がんで闘病中の希望は、病気を乗り越えて家族の待つ家に帰ること、そしてもう一度、家族3人で暮らすことでした。
その希望があったから、苦しい治療も、辛い副作用も、繰り返す合併症も、移植のGVHDも、リハビリも乗り越えることができました。
入院中に肺炎を起こしたとき、夜に病状が急変し、血圧が急降下して、生死の境をさまよったことがありました。
そのときは、薄れる意識の中、ベッドサイドの家族写真を見つめながら、「なんとしてでもこの家族の待つ家に帰るんだ」と希望を持ち続けました。それもあってか、死の淵に落ちることなく、こちらに戻って来ることができました。
今回、そんな入院中のことを思い出し、改めて、家族3人で我が家で暮らすことが、自分にとっては一番大切なことであり、それが本当に幸せなことなのだと実感しました。

当たり前の日常は当たり前ではない

もう一つ、入院中のことで思い出したことがあります。
今回の緊急事態宣言に伴い、外出自粛など非日常の生活が強いられることになりました。
その中で、改めて、「当たり前の日常は当たり前ではない」と感じました。
つまりウイルスの世界的感染拡大のような緊急事態では、当たり前だと思っていた日常生活が突然一変することがある、ということです。
これと同じようなことを、がん闘病から家に帰ってきたときに思いました。
突然がんを宣告されたとき、生存率などのデータから、自分の命はもう長くはないのかもしれないという絶望の底に突き落とされました。
しかし、長くて辛い治療を乗り越えて、家に帰ってくることができました。
そのとき、思ったのです。
「こうしてまた家で暮らせることは、決して当たり前ではないんだ。何より、自分が生きていること自体が奇跡的なことなんだ」
と。
実際、脳腫瘍悪性リンパ腫急性骨髄性白血病大腸がんと、4回のがんを乗り越えて、生存率の狭き門を4回くぐり抜けて、自分が今、生きていること。
そしてまた家族とともに家で普通の暮らしが送れること。
それは当たり前なんかではなく、本当に奇跡的なことなんだと思いました。
そしてそんな奇跡的な毎日の中に、本当の幸せがたくさん隠れていることも知りました。
もちろん、手術の後遺症(視覚障害)や治療の合併症(帯状疱疹後神経痛)」、造血幹細胞移植の慢性GVHD(肝機能障害、免疫力低下)など、病気をする前の自分とは違ってしまったこともたくさんあります。
でもそうしたことは、家族と一緒に暮らせることに比べれば、全然大したことではありません。

これからの生活

緊急事態宣言も解除され、徐々に以前の生活が戻ってきます。いや、ニューノーマルに移行していくのでしょうか。
その移行過程では、これまでの制限された生活や仕事の中で見えてきた不必要なものは省かれ、本質的に大切なものだけが残されていくのかもしれません。
いろいろなものやことの優先順位が変わっていくように思います。
自分も一番大切なことを見失わないようにしていきたいと思います。
そして、当たり前のように見える日常生活の中に、本当の幸せが隠れていることを常に忘れずに。
これからも家族と、日常の中の幸せを見つけながら、暮らしていこうと思っています。
喉元を過ぎれば…とならないように。

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