2021年08月01日

「今度」という希望を取り戻す/脳腫瘍(グリオーマ)の手術から10年が経過

うっかりしていたのですが、先日7月4日で、脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術からちょうど10年経ちました。

脳腫瘍手術10周年のケーキ
(脳腫瘍手術10周年を家族にお祝いしてもらったケーキ)

生存率の低い脳腫瘍

脳腫瘍が見つかったあのころは、10年後に自分が元気に暮らしている姿を想像するのは難しい状況でした。

僕のタイプの脳腫瘍(グリオーマ グレード3/退形成性乏突起星細胞腫)の5年生存率は、25%でした(当時の全国平均)。4人に1人しか、5年以上生きられないということです。

さらに、手術で腫瘍を摘出して病理検査をするまでは、より悪性度の高いグレード4の可能性もありました。その場合、5年生存率はもっと低く、6%(同)でした。

そのため、「あと数年で自分の生涯は終わるかもしれない」という考えに囚われて、明るい未来、あるいはそれ以前に、当たり前の普通の未来すら、想像できませんでした。

失われた「今度」

当時のことでよく覚えているのが、「今度○○しようね」という言葉を口に出せなくなったことです。

妻と話していても、

「今度またあそこに買い物に行こう」
「今度は○○(娘)も一緒に3人であのお店に行ってみようか」

という会話ができなくなってしまったのです。

一瞬そういう考えが頭をよぎっても、

「自分にはもう『今度』なんて来ないかもしれない」

という否定的な考えにかき消されてしまいます。

当時、娘はまだ1歳でした。これからは、子どもも一緒に3人で行きたいところや、やりたいことがたくさんありました。

でも、それは実現できないかもしれない。

こうしてしばらくの間、「今度」を失っていました。
希望を失った状態です。
それは絶望と言ってもいいかと思います。

手術を前にして考えたこと

でも、手術を間近に控えた夜、病室のベッドの上で考えました。

たとえこの病気の生存率が低くても、それがゼロでない限りは、生き残ることだってできるはず。

生存率が25%だったら、どうしたらそのの25%に入れるのかを考えて、調べて、医師と相談して、正しい道を見極めて、一つ一つ正しい判断を積み重ねて進んでいく。

生存率が何パーセントだろうと、自分にとってはゼロか1か。
統計データとしてのパーセントの大小は、自分の未来とは関係がない。
自分は絶対に生き残ると、自分で決めた。だから必ず自分は生き残る。

人生の目標を定める

そして、

19年後(当時)の娘の20歳の誕生日を、家族3人で乾杯してお祝いする。

と、自分の人生の目標を定めました。

人生の目標を主治医と共有する

その人生の目標を、手術前に主治医の先生にも伝えました。先生には「とにかく娘の20歳の誕生日まで、あと19年生きられるようにしてください」とお願いしました。

そして話し合った結果、半身不随などの麻痺が残ったとしても、命の長さを優先する、という手術の方針が決まりました。

成功した手術

脳腫瘍の手術は成功し、腫瘍はほぼ全摘出されました。

braintumor_mri.jpg
(写真右上の後頭部にある黒い穴が腫瘍を摘出した跡)

病理検査の結果、腫瘍のグレードは3と確定しました。
僕が治療を受けた東京女子医大病院のグリオーマ グレード3の5年生存率は75%です(当時)

半身不随のような重篤な術後合併症(後遺症)は避けられ、視覚障害だけが残りました。

視野は手術前の4分の3と狭くなりましたが、その狭い視野の先に、明るい未来、希望が見えてきました。

「今度」を取り戻しました。

その後も繰り返された絶望

その脳腫瘍のあとも、悪性リンパ腫急性骨髄性白血病大腸がんと、さらに3回のがん闘病を経験しました。

脳腫瘍のときよりも、もっともっと辛く苦しい経験を何度もしました。
もっと辛い身体的苦痛、もっと苦しい精神的不安。もっと長い治療期間。もっと見えない予後。

あまりの辛さに、希望を見失いそうなことも何度も何度もありました。

そんなときはいつも、ベッドの脇に置いた家族写真を見て、「必ず病気を乗り越えて、この家族の待つ家に帰るんだ」と歯を食いしばって乗り越えました。

家族写真が、まさに希望でした。

そうやって、4回のがんをひとつひとつ乗り越えて生きてきました。

「今度」のある生活

4回のがんを乗り越えてきた今、家族3人での暮らしの中では日常的に、

「今度、新型コロナが落ち着いたら、ズーラシアに行こうね」
「来年の夏休みには旅行に行きたいね」

という会話ができています。
家族での会話の中に、当たり前のように「今度」が出てきます。

でもそのたびに、10年前の、「今度」を失っていた日々のことを思い出します。
「今度」のある生活は当たり前ではないんだ、と改めて思います。

最高の「今度」まであと9年

脳腫瘍が見つかったころは、娘が20歳になるまで、あと19年でした。

あれから10年経った今では、あと9年です。

9年後に娘の20歳の誕生日を家族でお祝いすることが、今でも僕にとって一番の希望であり、一番楽しみな最高の「今度」です。

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う

2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。

2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。

2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。

現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や治療に関するご相談はメールでもSNSでも一切お受けしておりません。仮に質問などをお送りいただいてもご返事できかねます。私もあくまで一患者であり医療関係者ではありませんのでその点ご理解ください。

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