自分の生存率を聞いて墓石を押し戻した/急性骨髄性白血病のさい帯血移植

先日、急性骨髄性白血病の定期診察で、虎の門病院に行ってきました。
スタバにて診察待ちランチ


前回は2週間前だったのですが、湯浅先生が、「年末年始に体調を崩すと心配なので、年末に一度診察を入れておきましょう」と、いつもの4週間後ではなく2週間後に予約を入れてくださったものです。

最近の体調〜足の痙攣と芍薬甘草湯

診察では近況報告から。お陰さまでここ2週間は風邪などの感染症で熱を出すこともなく、比較的体調良く過ごせていました。
「ほかは大丈夫ですか?」と聞かれたので、そう言えば、と思い出して、去年の退院後からある、足の痙攣のことを聞いてみました。いわゆる、足がつる、という症状です。
僕の場合、特にこの日の通院日のように、昼間よく歩いた日の夜、寝るときに、足がつるのです。しかも、ふくらはぎだけではなく、反対側のすねもつります。ふくらはぎがつって、あわてて起きて、ストレッチでふくらはぎを伸ばすと、今度は反対のすねがつります。両方つってしまうと、片方を伸ばせば片方がさらに痙攣するということで、どうしようもなくなってしまいます。
しかも最悪の場合、両足のふくらはぎとすねが同時につります。もうストレッチもなにもできません。そしてときには足の裏もつります。膝から下はどこでも痙攣するような状況ですね。
この足の痙攣のことを湯浅先生にお伝えしたら、「じゃあ漢方を出してみましょうか?」と言って、「芍薬甘草湯」(しゃくやくかんぞうとう)という漢方薬を処方してくれました。人によっては著効する(よく効く)みたいですよ」とのこと。これには期待です。

血液検査の結果

続いて、湯浅先生からこの日の血液検査の結果を聞きました
「肝臓の数値(AST、ALT)は、依然高いですけれど、ここ一年の高山さんのトレンドの変動の範囲内ですね。」
「肝臓の数値のクレアチニンは、一時高かったですけれど、今は低めに落ち着いてきました。基準値よりは高いですが問題のない範囲です。」
「炎症を示すCRPは0.2と下がったのでよかったです。」
「血球はおよそ問題ないと思いますよ。」
ということで今回も特に大きな問題はありませんでした。
薬の処方は、先ほどの芍薬甘草湯以外はほぼいつも通り。冬で乾燥しがちなので、皮膚に塗るヘパリン類似物質(いわゆるヒルドイド)のスプレーやクリームは多めに出していただきました。移植後の皮膚のGVHDには、乾燥は禁物ですので。
また、以前RSウイルスに感染して発熱してから飲み続けてきた薬は、一通りやめることになりました。クラリスロマイシン、モンテルカスト、カルボシステインです。

今の自分の五年生存率

一通り終わってから、以前から湯浅先生に聞いておきたいと思っていたことを聞いてみました。生存率についてです。下記のようにお聞きしました。
「最初に急性骨髄性白血病が分かったとき、先生はこう言いました。」
 

「普通の急性骨髄性白血病だと、造血幹細胞移植をすれば、五年生存率は60%くらいになります。でも、高山さんの場合、病理検査の結果を見ると、がん細胞の染色体異常が多く、『複雑核型』になっています。これは、がん細胞がしぶとく、やっつけにくくて、再発しやすいということです。予後不良因子となります。
さらに高山さんの今回の白血病は、前回の悪性リンパ腫の抗がん剤治療を原因とする二次がんです。二次がんも根絶しにくく再発しやすいので、予後不良となります。
この複雑核型と二次がんという二つの予後不良因子を考慮すると、高山さんの五年生存率は30%と見られます。」

「そして、昨年の入院中、さい帯血移植が終わり、生着して、一番辛い時期を乗り越えた後、先生に生存率を聞いたら、治療関連死や合併症のリスクなどを計算して、こう言いました。」

「さい帯血が無事に生着して、大きな合併症も起こさずにここまできたことから、一通りの確率的な要素を考慮して、改めて生存率を計算すると、今は60%ほどになっているはずです。」

「そこで、移植から一年と8ヶ月経った今、改めて同じ質問、つまり今の自分の生存率をお聞きすると、どうなりますか?」
すると、湯浅先生は、口に出していろいろ計算した上で、こう言いました。

今の高山さんが、今後、急性骨髄性白血病が再発して亡くなる確率は、10%くらいだと思いますよ。
この病気の場合、だいたい移植後1年〜1年半くらいで再発率は横ばいになってきます。
医学的、統計的に「治った」と言えるまでは、やはり移植の3年後まで待つ必要はありますが、今の状態であれば、9割は大丈夫と見ていいんじゃないでしょうか。」

これは本当にうれしかったです。生存率90%になったということは、「治った」とまでは言えなくても「だいたい治った」くらい言ってもバチは当たらない数値ですよね。
最初に生存率30%と言われてショックを受け、本当に辛く苦しいさい帯血移植治療をなんとか乗り越えて、生存率が60%になったと教えていただき、そして移植から1年8ヶ月が経った今、ついに生存率90%まできました。
これは命の長さが伸びたということです。脳腫瘍が見つかってから頭の中に浮かぶようになった自分の墓石を、また遠くまで押し戻すことができました。

頭の中にある自分の墓石のイメージ

がんになってから、頭の中には常に自分の墓石のイメージがあります。最初に脳腫瘍を告知されたときは、「自分はあと2〜3年で死ぬかもしれない」と思いました。
そのとき、墓石が頭の中に現れました。それは、自分のすぐ近くに、黒光りする実質を持ったイメージとして、自分の身に迫っていました。
その後、手術が成功して、墓石を遠くまで押し戻しました。
それが、2年後に悪性リンパ腫が見つかって、また墓石が自分に近寄ってきました。でも7ヶ月に及ぶ入院での強い抗がん剤治療の結果、寛解となり、また墓石は大きく押し戻されました。
さらに4年後(昨年)には急性骨髄性白血病となり、また墓石が近づいてきました。それを辛いさい帯血移植治療で必死にし戻しました。
そして昨日の湯浅先生の言葉で、さらに遠くに押し戻すことができました。もう9割は大丈夫です。
常に自分の墓石のイメージが頭の中にあるということは、常に自分がいずれ死ぬということを意識しているということです。
でも、少なくとも娘の二十歳の誕生日を家族でお祝いするまでは、つまりあと12年は、死ぬつもりはありません。1ミリもありません。
入院中、医師の目から見ても死の淵を彷徨っていた自分は、頭の中では、自分が死ぬなんてことは考えておらず、とにかくなんとしてもこの病気を乗り越えて、家族の待つ家に帰るんだ、とそれだけを考えていました。そして12年後に娘の二十歳の誕生日を祝うんだ、と。
また、墓石のイメージがあるということは、人生の残り時間には限りがあるということを常に意識しているということでもあります。
明日も当たり前のように今日と同じ日が繰り返される、それが自分が80歳か90歳になるまで延々と続いていく、とは手放しで思えません。
自分の命には限りがあると自覚していると、一日一日が本当に大切に思えます。こうやって家族でご飯が食べられるのも、旅行に行けるのも、娘と遊べるのも、全て回数に限りがあるのです。
また、子供の成長は早いです。だから今のうちに一緒にやっておきたいことをやり、教えてあげたいことを教えてあげないと、すぐに成長して、親と過ごす時間は短くなっていきます。
人生の残り時間を意識するようになってから、自分の人生の優先順位が変わりました。本当に大切なものがはっきり分かりました。
そしてそれ以外のものはどんどん手放していくことで、生活はどんどんシンプルなものになっていきます。
「がんになってよかった」かどうかは分かりません。でも少なくとも、「がんになる前よりも、今の方が幸せ」ということは、心から言えます。
人生とは不思議なものですね。

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