2019年02月28日

【後編】奇跡のディナー:2人の医師の命のリレー

今日のお話は、僕の命を救ってくれた2人の医師と、6年越しで開いた食事会のお話です。それは、いくつもの奇跡なくしては実現しない、僕の人生の記念碑のような夜になりました。

【この記事は後編です。前編はこちら

虎の門病院 谷口修一副院長と、東京女子医科大学 村垣善浩教授の、二度目の名刺交換。医師と医師の命のリレー。
(谷口先生と村垣先生の名刺交換。命のリレー)

食事会のきっかけ(6):今度は急性骨髄性白血病で虎の門病院に入院

2016年に「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版した翌年、2017年に、虎の門病院での定期診察のときに、今度は急性骨髄性白血病が見つかりました。

この3回目のがんは、前回の悪性リンパ腫/急性リンパ性白血病の化学療法が原因で引き起こされた二次がんでした。

すぐに入院し、さい帯血移植を受けることになりました。前回は移植するか化学療法のみで乗り切るかの治療方針で悩みましたが、今回は、治癒を目指すなら移植するしかないと言われ、選択の余地はありませんでした。

しかしその移植をもってしても、5年生存率は30%だと言われました。二次性発がん、染色体異常(複雑核型)などが予後不良因子となるため、普通の急性骨髄性白血病よりも治療成績が下がるのです。

このときは、退院後に繰り返した入退院などを含めると、延べ8ヶ月ほどの入院になりました。

入院中、要所要所で、谷口先生は病室に顔を出してくれ、僕を安心させてくれました。前回の7ヶ月間の抗がん剤治療も苦しく辛いものでしたが、移植は、それをはるかに超える肉体的精神的苦しみがありました。何度も死の淵をさまよいました。移植治療が原因で死んでしまう移植関連死の恐怖を常に身近に感じていました。

それでも、移植したさい帯血は無事に生着してくれました。生着日は、偶然にも46歳の誕生日でした。

その後も感染症などの合併症や急性GVHD(移植片対宿主病)を経験し、予想よりも時間がかかりましたが、なんとか退院することができました。

入院中、担当医の湯浅先生に、「高山さんのタイプの腫瘍の場合、再発する場合は移植から数ヶ月以内のケースが多いです。だから移植後1年半くらいの間に再発がなければ、ある程度安心していいと思います。」と言われていました。そして昨年の秋に、その移植後1年半を超えました。生存率30%に入ったのです。

食事会のきっかけ(7):食事会日程調整の紆余曲折

その頃、再発リスクの低下とともに、少しずつ体力も回復してきたこともあり、診察などで谷口先生と村垣先生にお会いしたときに、改めて食事会の話をしてみました。お二人とも、「ぜひやりましょう」と言ってくださいました。

お二人の快諾を受けて、日程調整を開始しました。お二人の予定を確認し、谷口先生からお聞きした出会いのお店、飯田橋のイタリアンレストラン「ソリッソ」に予約を入れました。

しかしその後、学会で先生のご都合が悪くなったため、お二人の予定をなんとか再調整して、開催日を決め直しました。そしてソリッソに日程変更の連絡をしたところ、なんとその日は休業日。

でもお二人が出会ったソリッソで開催しないと意味がない食事会です。お店の方に事情を説明したところ、なんと休業日にも関わらず、我々のためにお店を開けてくださることになりました。そこまでしてもらえるなんて、行く前からソリッソへの期待が高まりました。

そんな紆余曲折を経て、ついに実現したのが、この奇跡のディナーでした。

食事会開催までの信じられないようなフワフワした気持ち

日程が決まってからも、「まさか本当に実現するとは」と、何だか信じられないような思いでした。気持ちがフワフワしていました。

谷口先生から「治ったら、村垣先生と一緒にそのレストランに行きましょう」と言われたのが2013年5月。

その約束から約6年。

2011年の脳腫瘍に加え、この2013年の約束から今までの6年の間に、悪性リンパ腫と急性骨髄性白血病も乗り越えました。

それぞれ生存率が25%、40%、30%という狭き門です。この3つの狭き門をくぐり抜けて、今、自分が生きていること自体がまず奇跡的です。

そして約束に至るまでの経緯も、それから当日までの経緯も、これまで書いた通り奇跡的です。

その約束が本当に実現すると思うと、なんだか信じられないような不思議な感じでした。

僕の命を救ってくださった二人の先生との、お二人が出会ったレストランでのディナーです。自分の人生でもっとも大切なディナーの一つになると思いました。人生における一つの記念碑と言っても過言ではありません。

この食事会が近づくにつれて、命を救っていただいた感謝の気持ちを先生たちにどのように伝えたらよいのか、考え込んでしまいました。

その答えが見つからないまま、フワフワした感じで、当日を迎えてしまいました。レストランに向かう地下鉄の中でも、ずっとフワフワしていました。

せめてお礼の気持ちを形にしてお伝えしようと、地元のケーキ屋さんのお菓子をプレゼントに持って行ったのですが、あまりにもフワフワしていたため、地下鉄の網棚に置き忘れてしまいました。

いよいよ食事会がスタート

飯田橋の駅で降り、駅事務所で忘れ物センターの電話番号をもらい、急いで会場のソリッソへ向かいました。

ソリッソには僕が一番乗り。テーブルでフワフワソワソワしながら待っていると、次々に先生たちがやって来ました。

この日は、谷口先生の発案で、写真家の遠藤湖舟さんも参加してくださいました。来年2020年3月に谷口先生が会長となって開催される予定の「日本造血細胞移植学会総会」という大規模な学会で、ポスター写真を提供したり当日の開会式の演出を担当したりして協力される写真家の方です。たまたま遠藤さんは僕と同じ長野県出身で、早稲田大学卒業ということもあって、谷口先生が誘ってくださったのです。

谷口先生と村垣先生は、7年前にこの店で出会って以来の再会でした。そのお二人の先生と、写真家の遠藤さん、そして僕。

立場は違いますが、それぞれの専門分野で最先端を走り続けている方々だけあって、話は医療から経営、研究、学会、政治、芸術、IT、AI、人生100年時代など、あちこちに飛んで、非常に興味深く、また楽しい時間となりました。

ソリッソのイタリアンは前菜から美しく、焼きたてのピザも上品なパスタもおいしく、ビール(ノンアルコール含む)やワインで盛り上がりました。

飯田橋ソリッソにて。マルゲリータ。

医者の社交辞令と患者との敷居

食事をしながら、僕は谷口先生に聞いてみました。「この食事会が開催できて本当にうれしいです。あのときの約束は、社交辞令ではなかったんですね」と。

すると谷口先生は言いました。

「高山さん、医者にとって、患者さんと食事に行くのは、相当敷居が高いことなんだよ。でも、あの約束は社交辞令じゃないよ。だって今日実現しているんだから」

確かにその通りです。村垣先生も続きました。

「確かに、僕も30数年、医者をやっていますが、患者さんと食事をするのは初めてのことかもしれません」

これを聞いて、改めてこの食事会は奇跡的なものだということを認識しました。

病気を治すのは医者じゃない

そして命を救っていただいたお礼を伝えると、谷口先生は、

「違うよ、僕たちが治したんじゃなくて、あなたが勝手に治ったんだよ」

常に患者の立場で治療にあたっている谷口先生らしい表現だと頭が下がりました。

虎の門病院での入院中に担当医の湯浅先生からも、「医者が病気を治すのではありません。医者は患者さんが治るのを手助けするだけです」と何度か言われました。

改めて谷口先生の言葉を聞いて、湯浅先生の言葉を思い出し、虎の門病院の血液内科には谷口先生の考え方が浸透していることを感じました。

医師との信頼関係は患者のいい質問から

村垣先生には、次のようにお伝えしました。「先生は、医学部の教授という肩書きに対して世の中の人が抱く『患者は医者の言うことを聞いていればいい。質問なんかするな』というイメージとは全然違います。いつも気さくに話してくれますし、どんな質問にも患者の立場に立って丁寧に答えてくれるます。これは僕の周りの患者さんもみんな言っていることです」

すると村垣先生は、

「高山さんは質問がいいんですよ。きちんと調べた上で、いいところをついた質問をしてくる。だから専門家としてもっと教えてあげたくなってしまうんです」

とのこと。大変光栄なお言葉でした。これが村垣先生と信頼関係を構築できた要因の一つかもしれません。

また谷口先生から、「だいぶ顔の皮膚はきれいになったね。まだ少し白いところはあるけど。声も張りがある」と言われたので、「さすがに患者のことをよく見てますね」と言ったら、

「内科医は、患者が診察室のドアを開けて入ってくるところからが診察だという教育を受けています。患者の姿をよく観察することが大事なんです」

とのこと。確かに入院中も通院時も、担当医の湯浅先生は、僕の顔色や声の張り、歩き方などを見て、「高山さん、ちょっと調子落としているでしょう?歩き方が少し不安定でした」とか「だいぶ元気になりましたね。声に張りがあります」などと指摘してくれます。それが薬や点滴などの治療内容の変更にもつながります。いつも「よく見てるなあ」と驚かされていたんですが、これが教育の賜物だとは知りませんでした。

僕のブログが医師にも貢献

村垣先生からは、このブログについて、下記のような言葉をくれました。

以前は、脳腫瘍が見つかると、地元の国立病院で手術をして、数年後に再発してしまい、そこで初めて真剣に調べた結果、女子医大にたどり着くと言う患者さんも多くいました。その場合、すでに一度手術を受けているため、踏み込んだ治療が難しいことがあります。

でも今は、脳腫瘍が見つかった段階で、ネットで調べて、高山さんのブログを見つけ、最初から女子医大に来る患者さんが増えました。最初から診ることができると、手術で踏み込んだ治療ができます。
(高山注:ただし、病状が進行していて急いで手術する必要があるのに、手術枠が一杯、ということもあるようです。その場合はキャンセル待ちや他院での手術も検討しなくてはいけないそうです)

また高山さんのブログや本を読んでから来る患者さんは、すでに病気や治療の基本的なことを分かっているので、限られた診察時間の中で、その患者さん個別の本質的な話に時間を割くことができます。

「昔は脳腫瘍は治らない病気でした。でもその後、手術できれいに摘出できれば治せる可能性が出てくるということが知られるようになってきました。ここでも高山さんのブログの影響があると思います。

谷口先生は僕のブログの影響について、次のようにおっしゃっていました。

最近は若い医師が育ってきたので、自分は白血病を担当し、悪性リンパ腫の患者さんは別の医師に任せるようにしている。

でも高山さんのブログや本のお陰で、白血病でも悪性リンパ腫でも、自分を名指しで指名してくる患者さんが増えている。しかし悪性リンパ腫の患者さんの場合は、自分の診察室に来てくれても、ただ別の医師の診察につなぐだけになってしまう。そういう患者さんが増えて困ってるんだよ(笑)。

谷口先生はお忙しくなってしまったようですが(笑)、少なくとも虎の門病院の患者数増加には多少なりとも役立っているようでした。

他の患者さんのために書いているブログが、自分の命を救ってくれた医師の役にも立っていることは、非常にうれしく、かつ光栄なことでもあります。

それ以外にも、本当にいろいろな話題で盛り上がり、あっという間に3時間以上経っていました。この食事会の間、ソリッソのスタッフは、気配りの効いた、付かず離れずのサービスで、楽しい食事をサポートしてくれました。

命を救ってくれたことへの恩返し

本当にあっと言う間の3時間でした。最初から最後まで、ずっとふわふわしたままでした。

先生たちには何度も「命を救っていただいてありがとうございました」とは言ったのですが、この感謝の気持ちを伝え切れたかどうかは分かりません。

でも後から考えてみると、命を救ってもらったお礼というのは、どちらにせよ言葉では表現し尽くせません。もちろんお菓子でもお金でも命とは釣り合いません。

だから、自分にできるのは、自分ががんの闘病で経験してきたことや考えたことをブログや本などで発信することで、他の患者さんやそのご家族のお役に立つことしかありません。

そうやって世の中の役に立つことが、自分の命を救ってくれた先生をはじめとするたくさんの人たち(医師、看護師さん、他医療スタッフ、さい帯血ドナーさん、献血してくれた方、友人、社員、家族等)への間接的な恩返しになると信じて。

また、ブログを書いているということは、僕が元気に生きているということです。先生たちに助けてもらった命を大切にして生きていくことは、患者としての責任でもあります。

だから、ブログの内容はともかく、今も元気に生きているという事実だけでもブログを通じて知ってもらうことが、他の患者さんの希望につながり、医師への恩返しにもなるのではないか。

そのことに改めて気づきました。

もう一つ。今回の食事会は、先生たちに僕が感謝を伝えるということよりも、先生たちの再会や出会いの場になったことに意味があるように思います。

すでに、今度は女子医大の丸山先生も呼びましょうとか、虎の門病院の先生はどうでしょうとか、次回の話も広がっています。次の出会い、新しい縁につながります。今回の遠藤さんのように。

そう考えると、この食事会実現までの経緯も、またこの食事会の場自体も、そして次回への広がりも、みんな奇跡的な人の縁で成り立っています。

医師と医師の命のリレー

そして自分がいま生かされていること自体が、人の縁のお陰です。

すでに書いた通り、僕は幼なじみの医師、T君との縁で、村垣先生につながりました。その村垣先生が谷口先生に縁をつないでくれました。そのお陰で今、自分は生きています。

それは、まさに医師と医師との命のリレーです。T君から村垣先生へ、村垣先生から谷口先生へ、僕の命のバトンが手渡されてきました。村垣先生と谷口先生の縁は、7年前のソリッソで結ばれていました。不思議なものです。

本当に奇跡的な食事会でした。
僕の人生の記念碑となるすばらしい夜でした。

参加してくださった谷口先生、村垣先生、そして遠藤さん、本当にありがとうございました。

また長文を読んでくださった読者のみなさんも、最後までお付き合いくださりありがとうございました。

前編はこちら

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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う。2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。2016年10月に脳腫瘍、悪性リンパ腫の2つのがんから卒業。同年、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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