誕生日パーティ後に娘から言われた言葉に驚きと涙

一昨日は44回目の誕生日でした。
44歳の誕生日プレゼントはカタミノをもらいました! Birthday present from my wife and my daughter!


夜、家内と娘が家でパーティを開いてくれました。
夕飯は娘のリクエストもあり、ピザにしました。
自宅での誕生日パーティはピザ
バースデーケーキは僕のリクエストで、地元綱島のヴェルプレさんのロールケーキでした。
誕生日ケーキは僕のリクエストでヴェルプレさんのロールケーキ
家内と娘がハッピーバースデーを歌ってくれ、その後ろうそくを吹き消しました。娘は朝からお祝いモードだったのですが、夕飯中もずっと、「パーティだから盛り上がろう!」と、歌ったり踊ったりして、僕と家内の気分を盛り上げてくれました。
誕生日プレゼントは、娘の保育園のお友だちのママから教えてもらった木製のパズル、「カタミノ」をもらいました。パズル好きとしては本当にうれしいプレゼントです。3歳から99歳まで遊べるということで、娘と一緒に楽しみたいと思います。
ただ、最近毎日のようにそうなるのですが、抗がん剤治療の副作用の免疫抑制による発熱や咳の症状が、夕飯を食べているうちに悪化して、夕飯を食べ終わるときには熱が37度超に上がってフラフラになってしまいます。昼間の疲れが夜になるとドッと出るようです。
この夜も、ロールケーキを食べ終わる頃には発熱して気分が悪くなり、まだケーキを食べている娘をリビングに残して、早々にダイニングに移って食後の薬を飲みました。そのとき洗い物をしていた家内に後から聞いたのですが、一人残された娘は、寂しそうな表情をしていたようです。
その時のことを反省し、その晩、娘と寝る時に、僕はこう言いました。

せっかく誕生日パーティで歌ったり踊ったりして盛り上げてくれたのに、パパは熱を出しちゃってごめんね。でも○○がいるから、パパは毎日がんばって暮らしてるよ

すると、娘はこう言ってくれました。

パパ、がんばらなくてもいいんだよ。好きなことをしていいんだよ。

この言葉には本当に驚きました。ハッとさせられました。僕は、

ありがとうね。ありがとう。パパを気遣ってくれて、○○は本当に優しいね。

と言って娘の頭を撫でつつ、思わず涙が出てしまいました。
このような言葉は、もちろん保育園で聞いてきたわけではないでしょうし、家内が僕に言っているわけでもありません。
でも普段の僕の言動や、僕と家内との会話から、僕の状況を理解し、ものごとの本質を捉えて、こう言ってくれたものと思います。
その後も、

パパ、寒くない?布団の中に手を入れてもいいよ。

と言ってくれたり、僕が咳込むと、

咳、大丈夫?お外で寒い時は、○○ちゃんのコート貸してあげるからね。

と言ってくれたりと、眠るまでずっと、優しくしてくれました。
一昨年末の退院後、自宅療養に入った僕は、「昼間から仕事もせずに家にいていいのだろうか?世の中に付加価値を提供しなくてもいいのだろうか?」と罪悪感や焦燥感に悩まされることがありました。
その罪悪感や焦燥感から、「オーシャンブリッジの会長としての役割を果たし、ビジネスで貢献しよう」と現場に中途半端に首を突っ込んだり、経営に余計な口を出したりしたこともありました。
でも、先日、この件に関して社長の持木君と突っ込んだ話をする機会がありました、そのとき、持木君が言ってくれたのは、以下のようなことでした。

高山さんはとにかく今は無理をしないでください。会社のことは僕達に任せて、高山さんは身体を第一に考えてください。

そして、こうも言ってくれました。

ビジネスで貢献したいと高山さんが考えるのは当然だと思いますし、いずれぜひ戻ってきてもらいたいと思っています。でも今はまだ無理をしないで、とにかく健康を取り戻すことを優先してください。会社のことは僕たちに任せてください。でも本当に高山さんの助けが必要な時は連絡しますので、そのときはよろしくお願いします。

これを聞いて、改めて、自分が焦って無理をしようとしていることに気付きました。そしてその後は、

今は自分がビジネスで社会貢献するタイミングではない。今はとにかく生き続けて、健康を取り戻し、そのプロセスをブログの闘病記として世の中に発信し続けることが、自分の社会貢献だ。

と考えを改めました。そして

会社のことは、助け舟を求められるまでは、持木君たちに任せていればいいんだ。

と納得しました。
でも、昨晩の娘との会話から、まだ自分の潜在意識のどこかに、「がんばらなきゃ」「何かしなきゃ」と思う焦りの気持ち、無理をする気持ちが残っていたことに気付かされました。
改めて自分の潜在意識を探ってみると、今は特に肉体的な葛藤、つまり、抗がん剤の副作用の免疫抑制に起因する発熱や咳に対し、免疫力が低いなりにもそれらを治そうという身体の抵抗力との拮抗があり、それが精神的にも負担になっているように思います。
何ヶ月も続く発熱や咳からくる肉体的負担や苦痛、そしてそれが治る見通しは全くないという事実が、精神的なストレスや苦痛にもつながっています。「ここから早く抜け出したい」という焦りにつながっています。
さらに、帯状疱疹後神経痛の激痛や、悪性リンパ腫の後遺症である左足のしびれや痛みなどの肉体的苦痛があり、それらも「早く治さなきゃ」という精神的な負担を生んでいるように思います。
でも、「がんばって早く治さなきゃ」と焦ったからと言って、早く治るわけではありません。少なくとも抗がん剤の維持療法は、まだあと2年近くは続ける予定です。その間は免疫抑制状態は続きます。
そう考えると、もういい意味で諦めて、つまり現状をあるがままに受け入れて、無駄な抵抗はやめた方が、精神的には楽なのかも知れません。その方が肉体的にもいい影響を期待できるかも知れません。「病は気から」です。焦りやストレスは、自律神経を交感神経優位にし、自己治癒力を下げてしまいます。それらを手放せば、副交感神経優位になり、自己治癒力も高まるはずです。
そうしたことを、娘は僕に「がんばらなくてもいいんだよ」という言葉で伝えたかったのかも知れません。
子供が本能的に本質を見抜く力に、本当に驚かされた夜でした。
改めて、焦らず、無理をせず、ゆっくりやっていきたいと思います。

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「誕生日パーティ後に娘から言われた言葉に驚きと涙」への2件のフィードバック

  1. 高山さんのブログを拝見して(ごく一部に過ぎませんが)、感じたことがあります。
    高山さんご自身を「客観視」して、言い換えれば、もう一人の高山さんが高山さんを眺めて、ブログを書いているように感じたのです。
    お嬢さんの優しいお言葉を、主観に基づくだけでなく、「客観的」に捉えている高山さんがいる、と感じたのです。
    お嬢さんが高山さんに優しく接しているのは、高山さんが今までずっと大きく深い愛情を持って、育ててこられたからには違いありません。
    さらに奥様もお嬢さんを大切に育てているからだ、と確信しています。
    ご両親の愛情を一心に受けているからです。
    さらに言えば、子供のほうが大人より直感力が優れている、と考えられます。特に、小さな子供は経験に囚われないので、五感(時には第六感)を
    活用できるのでしょう。
    闘病記は、高山さんご自身の体験を書いていますが、できるだけ「客観視」して記述することによって、同じ病と闘っている人たちに「客観的」な情報提供をしている、と考えています。
    言わば、同じ病と闘っている人たちと、「共闘」意識を共有している、と考えられます。
    そこには、当事者意識と第三者の見方の2つが共存している、と思いました。考え方が間違っていたら、訂正してください。
    高山さんはグリオーマなどに関する情報を国内外から収集し、ご専門の
    情報収集力と分析力、そして問題解決力をフル活用し、その「成果」を
    ブログで公開しています。
    そして、とても重要な事ですが、「客観性」に基づいたが記述が、医療関係に携わる方々に、貴重な生の情報源として役に立っている、と思います。
    抗がん剤の副作用である、免疫抑制により風邪と発熱が続いているご様子ですが、お大事になさってください。

  2. 藤巻さん、ありがとうございます。
    確かに、ブログを読んでくださっている方から、よく「自分のことなのによくあれだけ客観的に書けますね」と言われます。自分では特に「客観的に書こう」と意識しているわけではないので、最初のうちは「なぜみんなそう言うんだろう?」と逆に不思議に思いました。
    今考えると、以前より(特に2001年の起業後)、自分や自分の会社を常にメタ認知(平たく言えば客観視)することが非常に大切だと思っていまして、それが自然と文章に表れているのかもしれません。
    ビジネスでもプライベートでも、自分や自分の会社の、属するクラスター/コミュニティや業界/市場における相対的な立場はどうなのかを、できるだけ主観ではなく周囲との相対的な位置関係で把握することが大切だと思っています。見たくない現実を見ること、現状をありのままに受け入れることが大切で、それは勉強でも仕事でも闘病でも何でも同じだと思います。

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