2021年03月31日

娘の11歳の誕生日で人生の目標達成まであと9年に/しあわせセンサー

先日、娘が誕生日を迎えました。
おかげさまで11歳になりました。

11歳のバースデーケーキ

脳腫瘍(娘が1歳のとき)

僕が初めてがんを告知されたのは、10年前の悪性脳腫瘍(グリオーマ/神経膠腫)のときでした。(2011年)。


5年生存率の全国平均が25%以下だと聞いて、「自分の命はあと数年かもしれない」という現実に直面しました。

でも、あのとき娘はまだ1歳。

「この子の成長を見ずに死にたくない。絶対に死ぬわけにはいかない」

と思った僕は、人生の目標

「娘の二十歳の誕生日を、娘と妻と僕の3人で、おいしいお酒で乾杯してお祝いする。」

と設定しました。

そして主治医の村垣先生(東京女子医科大学 脳神経外科)に、

「半身不随になってもいいので、とにかくあと19年、娘が二十歳になるまでは生きていられるようにしてください」

とお願いしました。

お陰さまで手術は成功し、腫瘍は全摘出できました。

村垣先生、丸山先生のおかげで、半身不随になることは避けられ、視野の左下4分の1を失っただけですみました(視覚障害)。

悪性リンパ腫(娘が3歳のとき)

その2年後の2013年、悪性リンパ腫という血液のがん(急性リンパ性白血病と同じ病気)

が見つかりました。

検査入院の後、病理検査の結果を聞きに行った僕に、その病院(某がんセンター)の若い医師は病名を告知した後、

「標準治療があるから、どこの病院で治療しても、5年生存率は40%です」

と言いました。

彼が言っているのは、

どんなにいい病院を探したとしても、あなたが治る可能性は半分以下です」

ということです。

「そんなはずはない、どこかにきっと、僕が生きられる可能性を50%にも80%にも上げてくれる医師がいるはずだ」と信じて情報を集める中で、妻が見つけてくれたのが、虎の門病院 血液内科の谷口先生でした。

虎の門病院の外来の診察室で初めてお会いした谷口先生に、僕は、

「娘が二十歳になるまで、あと17年は死ぬわけにはいかないんです」

と訴えました。

すると谷口先生は、

「じゃあ、治しにいきましょう」

と言ってくれたのです。

それから8ヶ月間入院し、抗がん剤治療を7コース受けました。

それまでの人生で最も辛く苦しい8ヶ月でしたが、谷口先生をはじめ山本豪先生、湯淺先生たちの治療のおかげで、完全寛解に至ることができました。

急性骨髄性白血病(娘が7歳のとき)

その4年後の2017年。

3ヶ月おきに通院して受けていた血液検査で異常が見つかり、すぐに骨髄穿刺(マルク)を受けました。

その翌日、主治医の山本豪先生から電話がかかってきました。

残念ながら、急性骨髄性白血病が見つかったとのことでした。

すぐに虎の門病院に入院し、さい帯血移植の準備に入りました。

たくさんの検査を受け、たくさんの説明を受け、たくさんの同意書に署名しました。

病気や治療の説明とともに、移植治療に伴うたくさんのリスクの説明を聞きました。

移植治療そのものが原因となって命を落としてしまう治療関連死の可能性が30〜40%あることも聞きました。

治療中に発症する合併症の中には、致死的なものもあることを聞きました。

また、僕の白血病は、前回の悪性リンパ腫のときに使った抗がん剤の影響による二次性のがんであること、そして僕の白血病細胞には染色体異常が見つかっていることも聞きました。

これら2つの予後不良因子を考慮すると、僕の5年生存率は、通常の急性骨髄性白血病の移植治療よりも下がり、30%ほどだろうと湯淺先生に言われました。

辛い移植治療を受けても、病気は治らずに、いずれ再発して命を落としてしまう可能性が70%ということです。

「でも、高山さんは、娘さんが二十歳になるまで生きていないといけませんからね。一緒にがんばりましょう」

湯淺先生はそう言ってくれました。

4年前の悪性リンパ腫の抗がん剤治療を遥かに超える苦しい治療が始まりました。

何度か死の淵を彷徨いました。

それでも奈落の底に落ちることなく、なんとか命を繋ぎ止めることができたのは、

「娘の二十歳の誕生日を、娘と妻と僕の3人で、おいしいお酒で乾杯してお祝いする。」

という目標があったからです。

たとえ40度を超える高熱が何日も続いても、たとえ夜中に容体が急変して血圧が60を下回っても、目標を達成するまでは絶対に死ぬわけにはいきません。

辛く苦しいときはいつも、枕元の家族写真を見て、この目標を再確認し、生への執着を絶対に手放さないようにしていました。

そのさい帯血移植から、あと2週間ほどで、まる4年になります。
急性骨髄性白血病は、もう「治った」と言っても差し支えのない時期だと思います。

そして昨年、2020年には、大腸がんが見つかりました。

幸い初期のがんで、転移もなかったことから、腹腔鏡下手術で大腸を一部切除した後は、抗がん剤治療も放射線治療も必要なく、今は定期的な検査で、再発や転移がないことを確認するのみです。

あれから10年

10年前、脳腫瘍の告知を受け、「娘の二十歳の誕生日までは絶対に死なない」と決めたときには、まさか脳腫瘍の後に、悪性リンパ腫、急性骨髄性白血病、大腸がんと3つもがんが続くことになるとは思いませんでした。

でもそれら全てのがんを乗り越えてくることができたのは、この人生の目標があったからであり、その目標を一緒に達成する家族の存在があったからです。

娘が11歳になったことで、目標達成まで、あと9年となりました。

最初に村垣先生に「あと19年生きられるようにしてください」とお願いしたときには、19年という年月は、ものすごく長く感じました。
目標達成するのは、すごく先のことだと感じていました。

でも、目標達成まであと9年となり、折り返し地点を超えた今は、9年後の姿をリアリティを持って思い描くことができます。

家族3人で、ワインで乾杯している様子を、より具体的にイメージすることができます。

今も毎晩寝る前に、目標達成の様子を頭の中でイメージしています。

先日までは、それは「10年後のイメージ」でした。
娘の誕生日を境に、それは「9年後のイメージ」へとカウントダウンしました。

毎日、目の前の1日を、精一杯生きることで、一歩一歩、着実に、その目標達成に近づいています。

しあわせセンサー

当たり前のように見える1日は、決して当たり前ではない。
それはたくさんの奇跡の積み重ねで成り立っている。

だから、当たり前のように見える1日のあちこちには、幸せが潜んでいる。
うっかり見過ごしてしまいそうな日常のあちこちに、たくさんの幸せが隠れている。

目の前の1日を大切に生きることで、しあわせセンサーの感度が鋭くなる。
すると、しあわせセンサーは幸せをたくさん見つけてくれる。

これからの9年も

娘が11歳になり、目標達成まであと9年ととなりました。

娘が1歳のときに病気が見つかり、それからの10年間で、4回のがんを経験して、自分が気づいたこと、そしてこれからも忘れたくないことは、こういうしあわせセンサーみたいなことだよなあ、と思っています。

辛かった経験と、そこから気づいたことを忘れずに、これからの9年も、1日1日を大切に生きていきます。

そして9年後、この人生の目標を達成したことを、このブログでみなさんにご報告したいと思います。


【参考記事】(これまでの娘の誕生日の記事)

▼娘が10歳になり目標達成まであと10年/娘への「好きなところ100」|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の9歳の誕生日で僕の目標達成まであと11年/アファメーションで思考を現実化|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の8歳の誕生日で目標達成まであと12年にカウントダウン|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘が7歳の誕生日を迎え、僕の人生の目標達成まであと13年|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の6歳の誕生日で目標まであと14年へとカウントダウン|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の5歳のお誕生日をバルバッコア・グリル渋谷店でお祝い/人生の目標達成まであと15年|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の4歳のお誕生日に周りのみなさんの温かさを知る/10ヶ月ぶりにアルコールを解禁|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の3歳のお誕生日で、目標達成まであと17年に|オーシャンブリッジ高山のブログ

▼娘の二歳の誕生日で僕の目標もカウントダウン|オーシャンブリッジ高山のブログ


(2014年3月撮影)


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高山の著書

「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」書影・表紙画像\
治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ
(幻冬舎 税込1,188円)

脳腫瘍、悪性リンパ腫(白血病)を乗り越えた闘病記。
病院選び、治療法選択、医師との信頼関係の構築、セカンドオピニオンなどの考え方も。

プロフィール

高山知朗(のりあき):

1971年長野県伊那市生まれ。伊那北高校、早稲田大学 政治経済学部卒業。

アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループ、Web関連ベンチャーを経て(株)オーシャンブリッジ設立、代表取締役社長就任。現在、同社ファウンダー。横浜市在住。

2011年7月に脳腫瘍(グリオーマ)の摘出手術。後遺症で視野の左下1/4を失う

2013年5月から悪性リンパ腫(B細胞性リンパ芽球性リンパ種/急性リンパ性白血病)の抗がん剤治療。合併症で帯状疱疹後神経痛も発症し、現在も激しい痛みと闘う。

2016年年9月、幻冬舎より「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」を出版。

2017年2月、3度目のがんである急性骨髄性白血病を発症、同年4月にさい帯血移植治療を受ける。

2020年3月、4度目のがんである大腸がんの腹腔鏡下手術を受ける。

現在は妻、娘とともに元気に暮らしている。

連絡先

メール: nori.tkym[at]gmail.com
([at]は@に読み替えてください)

※病気や病院に関する個別のご相談については、まず「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」をお読みの上、ご連絡いただけますようお願いします。いただくご質問に対する回答の多くが、すでにこの本に書かれております。ご理解お願いします。

※いただいたご連絡の全てにご返事できるとは限りませんのでご理解ください。

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