18日ぶりの我が家は病室と何が違う?(経緯17)

手術から11日が経過した7月15日(金)の夕方、初めての外泊で自宅に帰りました。こんなに早く家に帰れるまでに回復するとは思わなかったので、うれしいと同時に、おっかなびっくりという感じでした。
仕事帰りの奥さんが迎えに来てくれて、一緒にタクシーで家まで帰りました。
病棟のエレベーターの前で、担当看護師のKさん(癒し系)との別れ際に、「家に帰ってもお酒は飲み過ぎないように注意します」と言ったら、「え!お酒は飲んじゃダメに決まってるじゃないですか!お酒を飲むと脳がむくんでけいれん発作のリスクが高くなるんですよ!絶対に飲んじゃダメですよ!!!」といつものかわいらしい調子ではなく厳しい調子でたしなめられてしまいました・・・。

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病室で初めて、部下に仕事を任せるということを体感的に理解する(経緯16)

バルセロナからZyncro Tech社のDidacとLuisがお見舞いに来てくれた翌日の7月14日、僕はベッドの上で、Zyncroをテーマとしたオーシャンブリッジ主催のイベント「エンタープライズ・ソーシャル・コラボレーション・セミナー」の様子をTwitterのタイムラインで追いかけていました。
これは、本来は僕が中心となって企画してプレゼンなども行うつもりだったセミナーです。でも、さすがに入院するとなにもできませんので、何もかもスタッフのみんなに任せるしかありません。まだ企画も固まっていなかった入院直前に、幹部の菅沼君を呼んで、「この部分は前にお世話になったこの人に相談して進めてみて」「この部分についてはあの人とあの人にも協力をお願いしてみて」と言い残して、僕は女子医大に入院しました。

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5ヶ月ぶりにアルコールを解禁(近況報告)

昨日12月2日に、アルコールを解禁しました。
最後にアルコールを口にしたのは、入院前日の6月26日でした。入院前の最後の食事ということで、奥さんがすき焼きを作ってくれて、プレミアムモルツと角ハイボールをいただきました。
ですから丸5ヶ月ぶりのアルコールです。

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バルセロナのメッシから直筆サイン入りユニフォームが(脳腫瘍 経緯15)

メッシの直筆サイン入りユニフォーム

2011年7月4日に脳腫瘍(グリオーマ グレード3)摘出手術が終わり、縫合部の抜糸(抜鈎)が終わって2日後の7/13には、遠くスペインはバルセロナから友人がお見舞いに来てくれました。

Zyncro Tech社のファウンダー兼会長のDidac Lee(ディダック・リー)と、同社CEOのLuis Font(ルイス・フォント)です。

僕の会社、オーシャンブリッジは、Zyncro Tech社と2011年5月に業務提携し、ソーシャルコラボレーションツール「Zyncro」の日本市場におけるサービス開始を発表していました。

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手術後初めてのシャワーと洗髪、チクチクした抜糸(抜鈎)、結婚指輪(経緯14)

手術直後の日々については、Evernoteにあまり記録がありません。手術の後遺症の視覚障害で、文字の読み書きが大変だったためです。
でも、日を追うごとに、記録されている情報が少しずつ増えていきます。PostEverでiPhoneから入力された日々の出来事や、twtr2srcで自動的にEvernoteに取り込まれたTwitterのツイートや、iPadやiPhoneでブラウジングした脳腫瘍・視覚障害等に関するWebサイトのクリッピングなどです。これらがライフログとして、今、当時を思い返すのに非常に役立っています。

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手術後の日々:回復と痛み、視覚障害(経緯13)

手術が終わってICUで一晩過ごした後、翌日のお昼過ぎに一般病棟に戻りました。
またストレッチャーに載せられて、エレベーターで病室に戻り、看護師さんたちの「いっせーのーせっ!」でドシンとベッドに戻してもらいました。この「ドシン」にも、2回目で慣れてきました(笑)。
戻った病室でも枕は普通ですし、ベッドも普通です。そこに普通に横になっています。手術した後頭部の傷口はどうなっているかというと、ガーゼが大きく当ててあり、そのガーゼがテープで髪の毛にペタペタと固定してあるだけです。頭が包帯でぐるぐる巻き、というわけではありませんし、絶対安静でベッドに縛り付けられている、というわけでもありません。

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ICU(集中治療室)での壮絶な一夜(経緯12)

手術が終わってからICU(集中治療室)に移り、その夜はそのままICUで過ごしました。これがまたいろいろな意味で忘れられない経験となりました。
まず、自分自身の身体について。
まず辛かったのは、もちろん、手術直後の痛みです。手術で開頭した後頭部の傷口も痛いし、頭の中も痛い。

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手術で脳腫瘍を摘出(経緯11)

手術当日(2011年7月4日)は、4:30頃に目が覚めてしまいました。
前日の夜は、ベッドの上でFlickrにある娘の写真をiPadで見たりして過ごした後、消灯時間である21時過ぎには睡眠剤を飲んで就寝しました。この時期はあまり寝付きがよくなかったんですが、この夜は比較的よく眠れました。
そのためか、起床時間の6時よりも大分早い4:30頃には、廊下を歩く看護師さんの足音で目が覚めてしまいました。

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手術までの眠れぬ日々、支えてくれた幼なじみの言葉(経緯10)

手術に関する主治医の先生からの説明(6月29日)の後、手術当日(7月4日)までは、比較的穏やかに過ぎて行きました。
入院初日(6月27日)にある程度の検査は終わっていたのですが、残っている検査がいくつかあったため、この時期にそれらの検査を受けました。
一つは全身のPET検査。脳以外にもがんがないか、つまり脳にある腫瘍が他の臓器のがんが転移したものでないかを調べるための検査です。幸い、脳以外にはがんは見つかりませんでした。

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手術の方針を決断(経緯9)

入院三日目(6月29日)の夜、主治医のYM先生から、手術に関する事前の説明がありました。
手術の説明には原則として家族が同席する必要があるため、奥さんが娘を連れて夕方病院に到着。また僕の母も突然長野から上京してきてくれました。
先生が病棟に到着するのを病棟のロビーで待っている間、看護師さんや他の患者さんが娘に声をかけてくれました。みなさんが娘をかわいがってくれて非常にうれしかったです。

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